遠藤(noa)です。
On Sun, 07 Sep 2003 21:00:06 +0900
wacky <wacky@all.at> wrote:
> >> >> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bi78h6$an2$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
> >> >> >で、自己棚上げだったら、「ポイ捨てを批判する」ということの目的もしくは
> >> >> >手段のどういう部分にどのように関係するんですか?
 
> >> >> 繰り返し申し上げている通り、それ(自己棚上)は「目的の正当性」にかかわる
> >> >> 「行為の行われた状況」であると言えるでしょう。

> >> >On Sun, 17 Aug 2003 03:19:39 +0900
> >> >wacky <wacky@all.at> wrote:
> >> >> tomoaki endoさんの<20030816152345.3d0ea38b.noa@zd.wakwak.com>から
> >> >> >で、再確認ですが「放火した」→「だから、消火してはいけない」
> >> >> >という主張を続けますか?
> >> >> 「続ける」どころか、そのような主張は一切していません。

> >> >総合すると、
> >「正当性にかかわるけれど、行為を行うことが良くないとは主張していない」
> >ではいかがですか?
> >で、wackyさんによる「行為の評価」はどうなんですか?

> 普通に考えて、行為に対する評価として「正当ではない」と言っているんだか
> ら「行為を行うことが良くないとは主張していない」わけがないでしょう。
否定が重なっていて良く分からないのですが、
結局のところ「行為を行うことについて」どうだといっていますか?

> #問題は、ここで言う「行為」が「全体としての行為→自己棚上げで批判す
> #る」ことであって、そこから無理矢理、無批判に、状況を無視して切り出さ
> #れた「批判」では無いということでしょう。

私がお聞きしたいのは、その結果、「行為」自体をどう評価
しているのか?なんです。