! "<3f3f873d$0$267$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 17 Aug 2003 22:48:19 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bhkpe5$274$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ! "<3f3d051c$0$265$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>> !     Sat, 16 Aug 2003 01:08:32 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>> 
>>> 「誉められてしかるべき」にもかかわらず「放火して消火」の場合には*KGK氏
>>> は誉める事には消極的*なわけですよね。何故ですか?
>> 
>> 特に消極的じゃありません。
>> どっちも、義務じゃないけど不思議じゃないという程度のこと。

> で、「誰が褒めても不思議じゃない」けど「僕なら褒める」と言えないのには
> 何か特別な理由があるのでしょうか?

その部分に対する評価を表明する機会があれば褒めるし、なければ褒めるため
の機会をわざわざ作らないから褒めないってだけの話。
# 普通そうでしょ?

どっちにしても貶すことはない。

>>>>>>> 自己棚上げでありながら「正当な目的」で「正当な手段」である場合というの
>>>>>>> は、たとえばどんな場合ですか?
>>>>>> 
>>>>>> たとえば、「相手のポイ捨てをやめさせる目的」で「暴力的でなく冷静に話す
>>>>>> という手段」だと、どちらも正当でしょ?
>>>> 
>>>>> で、それの何処が自己棚上げなんですか?
>>>> 
>>>> それが、「自分でポイ捨てをする」という状況下で為されれば自己棚上げでしょ
>>>> うね。
>> 
>>> その条件が含まれるのならば
>> 
>>>> それが、目的の正当性の評価にも手段の正当性の評価にも関係ないだけで。
>> 
>>> 関係あるし、正当とは言えないでしょう。
>> 
>> 何のどういう部分にどのように関係するんですか?

> KGK氏が他の記事で「褒めるか否かはケースバイケース」と言っている、その
> 「ケース」にあたるのでは?

いいえ。
上記のように、私が言ってる「ケースバイケース」ってのは、評価を表明する
機会があるかどうかです。
# もう少しちゃんと言えば、機会を利用しようと思うか否か。

で、自己棚上げだったら、「ポイ捨てを批判する」ということの目的もしくは
手段のどういう部分にどのように関係するんですか?
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK