KGK == Keiji KOSAKAさんの<bhkpe5$274$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>! "<3f3d051c$0$265$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>!     Sat, 16 Aug 2003 01:08:32 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<be67a5$o52$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> $でも、そんなの関係なしに、消火活動は正しいことだし、内心がどうだろうと、
>> $行動は誉められてしかるべきでしょう。
>
>> 「誉められてしかるべき」にもかかわらず「放火して消火」の場合には*KGK氏
>> は誉める事には消極的*なわけですよね。何故ですか?
>
>特に消極的じゃありません。
>どっちも、義務じゃないけど不思議じゃないという程度のこと。

義務は関係無いでしょう。

で、「誰が褒めても不思議じゃない」けど「僕なら褒める」と言えないのには
何か特別な理由があるのでしょうか?
#「誉められてしかるべき」なんでしょ?


>>>>>> 自己棚上げでありながら「正当な目的」で「正当な手段」である場合というの
>>>>>> は、たとえばどんな場合ですか?
>>>>> 
>>>>> たとえば、「相手のポイ捨てをやめさせる目的」で「暴力的でなく冷静に話す
>>>>> という手段」だと、どちらも正当でしょ?
>>> 
>>>> で、それの何処が自己棚上げなんですか?
>>> 
>>> それが、「自分でポイ捨てをする」という状況下で為されれば自己棚上げでしょ
>>> うね。
>
>> その条件が含まれるのならば
>
>>> それが、目的の正当性の評価にも手段の正当性の評価にも関係ないだけで。
>
>> 関係あるし、正当とは言えないでしょう。
>
>何のどういう部分にどのように関係するんですか?

KGK氏が他の記事で「褒めるか否かはケースバイケース」と言っている、その
「ケース」にあたるのでは?
#あたらないとする根拠があるのであればご指摘を。


-- 
wacky