2日目その7 [清水]

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走行日: 2013年4月14日(日)

[地図: 袖師〜県立美術館前]

富士川駅と新蒲原駅の間で市境を越えて以来、既に静岡市清水区になっていました。しかしそこはあくまでも旧蒲原町であり、旧由比町だったのです。興津や袖師はその前から清水市でしたが、1961年(昭和31年)の昭和の大合併で清水市に編入された旧興津町・旧袖師町です。こうやって遡って行くと、では元からの清水市はどの範囲かということになるのですが……市制施行した1924年(大正13年)時点を基準とすれば、今まさに真の清水市に到達しようとしています。ま、そこも、市制施行前は清水町ではなく入江町であったりする訳ですが。

写真コメント
[写真: 清水辻の自転車通行帯]
(14:53)

清水の市街地へとやって来ました。辻地区からR1現道が中央分離帯付き4車線以上になります。そして……自転車通行帯まで出現しました! しかもこれ、良い仕事してますよ。交差点で変に曲げてないし、そもそも手前を見ると、バス専用通行帯(と言っても、写り切っていませんがバス停前後の短区間だけです)から直結させていますし。勘違いされがちですが、左端の車両通行帯がバス専用通行帯になっている場合、自転車を含む軽車両などは専用通行帯走行禁止の制限より第一通行帯走行の制限が優先されるため、バス専用通行帯を通っても良いのです。

[写真: 清水駅]
(14:57)

旧清水市の代表駅、清水駅に到着です。開業当初は東海道江尻宿(※町村制施行前)であったため、江尻駅という名称でしたが、入江町を経て1924年(大正13年)に清水市となり、1934年(昭和9年)に清水駅と改称された経緯があります。1975年(昭和50年)までは、路面電車の静岡鉄道清水市内線も駅前に乗り入れていました。

[写真: 新清水駅]
(15:02)

清水駅より800mほど南、東海道本線を跨いだ先にある、静岡鉄道静岡清水線の終点・新清水駅にやって来ました。前述した路面電車の清水市内線とも渡り線で繋がっていたことがあるのですが、清水市内線が廃止・撤去された現在では、頭端式ホームとなっているため、こちら側に線路の面影は見られません。

駅舎は、2008年まで2階建てのテナントビルだったということですが、空き店舗が多くなったこと、耐震補強工事が必要になったことから、2階部分を解体し、1階部分も縮小したそうです。左側に見えるファミま! は、縮小された駅敷地に建てられています。

[写真: 新清水駅前交差点]
(15:03)

さて、新清水駅から更に南へ向かいます。……おお、この区間も、自転車通行帯を整備する予定なんですね。ここは国道149号で指定区間は無いので、管理責任者は静岡県ということになりますから、静岡県の道路整備は期待が持てますね!

[写真: 市役所清水庁舎前交差点]
(15:04)

まっすぐ進んで、市役所清水庁舎前交差点。ここも自転車通行帯の準備が行われていますが、この規模の交差点で強引に横断歩道へ誘導することなく、ちゃんと直進させようとしているところが、当たり前の整備なんですけどとても嬉しいです。今でも横断歩道に自転車通行帯が無い(信号機にも自転車適用標識が無い)ので、自転車は普通に直進できるのですが、その走り方を啓蒙するためにも明示するのは良いことですね。

この交差点を右折します。

[写真: 入江岡駅]
(15:10)

静鉄2番目の駅、入江岡駅にやってきました。堀割を跨ぐ跨線橋に駅舎が接続しています。

[写真: 入江岡-桜橋 線路]
(15:10)

入江岡駅前の跨線橋から、新静岡駅方面の線路を見た図です。左側2線が静鉄、右側2線はJR東海道本線です。左端ギリギリで、静鉄に渡り線があるのが見えますが、これは東海地震で新静岡駅が津波浸水した際、入江岡駅で折り返し運転ができるように備えたものだそうです。……入江岡駅だって標高5m程度しかないし、しかも堀割区間だから、浸水の危険は高いと思うんだけど。ちなみに、2011年の東北地方太平洋沖地震の際、浸水はしませんでしたけど、この渡り線が初めて使われたんだそうです。

[写真: 桜橋駅]
(15:15)

続いては急行停車駅である桜橋駅……なんですけど、すみません駅舎が外から良く見える場所を探そうとして、結局見付けることができず、半端なところからの撮影になってしまいました。見えているシアンの建物は、駅に隣接する駐輪場です。駅舎は無かったので、入江岡駅と同様の跨線橋からホームを写すべきでした……。

入江岡-桜橋の渡り線が静鉄の非常態勢用設備であること、と直接関係はありませんが、桜橋-狐ヶ崎は東海道本線の事故で非常態勢が組まれたことがあります。1950年(昭和25年)に東海道本線で脱線事故があった際、東海道本線の上下線と静鉄の下り線が支障されたのですが、残った静鉄上り線を東海道本線と緊急接続し、大幹線の長期全面運休を回避したのだそうです。

[写真: 狐ヶ崎駅]
(15:26)

こちら狐ヶ崎駅。静鉄と東海道本線が完全に並列しているのは、入江岡からここまで(正確には200mほど先まで)です。この駅、1908年(明治41年)の開業時は「上原駅」(うわはらえき)、1927年(昭和2年)から「遊園前駅」、1968年(昭和43年)に「狐ヶ崎ヤングランド前」、1985年(昭和60年)前後に「狐ヶ崎駅」と、何度も改称された経緯があります。ちなみに遊園地/ヤングランドは現存しません。

[写真: 御門台駅]
(15:32)

狐ヶ崎を過ぎてからも静鉄と東海道本線は並行しますが、距離が200mばかり離れます。その間の住宅地を市道がやはり並行していて、これから基本的にその道を通るとしましょう。ここは御門台駅、踏切と駅舎が直結していますね。

[写真: JR草薙駅]
(15:37)

700mほど進んで、久々のJR駅・草薙駅にやって来ました。御門台駅付近から、JR路線は東海道新幹線も並行していまして、草薙駅などは新幹線の車窓から何度も見たことがあるのです。駅舎を表から見るのは勿論初めてですけどね。……草薙と言うと、背景美術の製作会社が真っ先に思い付いてしまいますな。

[写真: 静鉄草薙駅]
(15:39)

こちらは静鉄の草薙駅。開業はJR(国鉄)よりこちらの方が早く、1908年(明治41年)にできています。JR駅は1911年(明治43年)に信号所として開設され、1926年(大正15年)に駅へ昇格しています。

[写真: 県立美術館前駅]
(15:44)

サクっと進んで、県立美術館前駅。1986年(昭和61年)開業の、静鉄で最も新しい駅です。御門台駅と同様の踏切に直結した駅ですが、こちらは駅舎が線路を完全に内包しているため、踏切が出入口ということにはなっていませんね。

[写真: 県立美術館前駅を発車する1000系電車]
(15:44)

またまた丁度良く、1000系電車が発車するシーンを撮影できました。写真の上では手前の自動車がちと邪魔ですが、この駅から電車が「出てくる」のは絵が映えますね。

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水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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