神戸です。

何か違和感を感じつつそれがなんだか分からなかったのでコメントが書けなかったのですが、
思うに、

On Mon, 14 Mar 2005 18:35:21 +0900, kumi fujino <bujino@mx1.tiki.ne.jp> 
wrote:
> 親の世代の中に老いを受け入れる準備ができず、精神的な若さを意識するあまりに
> いつまでも青年期を引き延ばそうと若者の文化を受け入れたり、

と

> 友達的親子関係を作ろうとしたりしている人がいることを

って同一線上の現象なんでしょうか?

相関はあったりするのかなと想像はしても同じ現象には見えないような気も…。

それに「若者の文化」を受け入れるのも別に好みの問題なような…。
老いたら「若者の文化」からは卒業しなければならないというのも
なんだかなと思わないでもありません。

> ちょっと話がそれますが
> 進路相談の時、客観的にはどう転んでも無理と思うような
> 夢みたいなことを生徒に語られて「親はどういってるの?」と聞くと
> 「親は自分を理解してくれているから応援している」
> と答えられたことがあります。
> 実際にお母さんにお会いしたのですが、
> 「やりたいことをやらせたいし、なれたらすごいでしょう?」と
> ウキウキと言われてしまいました。

これも友達的人間関係だからというより、
単に問題の存在や問題解決への道筋が見えてないというだけの問題で
親の問題把握能力と問題解決能力の問題ではないかという気がしたり…。

歳食ったらそういう能力が発達していることを期待したいものではありますが、
能力であるだけに身に着け損ねる場合もあるのじゃないかなと。

子の問題が見えていてなお子に遠慮して言えないようなケースであれば
あるいは友達的関係が問題だと言えなくはない気がしますが、
このケースのように単に問題が見えていないのは
また違った問題ではないかと思うのです。

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