Keizo Matsumura wrote:

>>自分の場合は行為規範・裁判規範と言う観点から考えたとき分からない部分がた
>>くさん有るよね。却ってだんだん分からなくなって来るって気がする。
>>
>>    
>>
>
>まったく、日本は法治国家ではないのです。それを最初に知ってしまえば
>氷解します。
>
でも、日本は法治国家だと小泉首相も言ってますし、殆どの法学者、知識人
もそう考えいるのではないでしょうか。法治国家ではないような形跡は総て、
その形跡に関わった者がしからしめたことであって、それだけで「日本は法
治国家ではない」とすることは早計であるばかりか、そう捉えていかなる利
点があると言うのでしょうか?

これは、あくまでも「法学」を語る、と言う場合のことであって、ぼくが政
治を語る時は「日本は法治国家ではない」とする認識をまったく否定するこ
とはないでしょう。なぜなら、政治は「sein」の世界であり、法は「sollen」
の世界だと考えるからです。

>ここで、行為規範といってみても、守らなくても、罰や損賠があったりなかった
>り。
>裁判規範と言ってみても、法律本に、法学部の教科書に書いてあっても、そのよ
>うに
>なってみたり、ならなかったり。
>
行為規範と裁判規範についてはぼく自身分からない部分が山ほど有って、そ
もそも答えられないことが多いのですが、法規自体に行為規範面と裁判規範
面の両方が有ると一般に言われているようですが、「法律も多くの点で擬制
の上に成り立っている」ことを早々と承認するのを控え、真面目に且つ真摯
に法を見ようとすればする程、法規には行為規範と裁判規範の両方が有ると
は思えないのです。

尤も、それらは単なる事実としてそうだ、と言う程度で語っているのであれ
ば何も否定するつもりは有りません。ところが、一般に行為を行う者が行為
規範に直面し、そのときに行為者には規範の問題が与えられ、それに応じて
行為者が自己の行為をコントロールするために有るのが行為規範だ、という
のであれば、そのような行為規範はますます否定せざる場合が多いと考える
のです。しかし、法規である以上裁判規範性は原則として皆ある、と考えて
いいのではないでしょうか?ただし、ぼくはこれまで語られてきたような行
為規範性ではなくまったく別の行為規範性(註*)を考えたときには依然行
為規範は認めていいのではないかとは思っています。

        (註*)いっそのこと、社会生活上での自然的感覚で
            意識する規範と言うのではなく、「要求され
            た」意識に向けられた「要求された」行為規
            範と捉える考え方です。結局、個人間の取引
            上交わす売買契約書や会員規約のようなモノ
            と実は同じと考えるわけです。結果、法は誰
            もが自らの努力で知ろうとしなければならず、
            そうするか否かは個人の自由であるが時に不
            利益を受ける場合が有る、とする考え方。

まつむら氏のご意見は行為規範や裁判規範が実際に働いているかどうかと言
うよりも裁判制度の内部で実際に運用するときに「正しく」為されているか
どうかの問題ではないかと思う。これは実際がおかしいのであって、これは
これで別のこととして問題にしなければならないことではないでしょうか?

> いくら法律を勉強しても、ますます判断ができなくなるのです。
>だから、辞め検や、やめ判は、依頼者が依頼しようとしても、のらりくらり
>裁判官をやめて弁護士になった人は、裁判官が自由に判決していることを
>知っているので、こうなるとは言えないのです。
> 弁護士をたくさん使ってみるといろいろなことが解ります。
>

たしかに実務習慣と言うようなことが有ろうかと思います。しかし、その習
慣がどうであろうと、おかしいモノはおかしいわけで、実務習慣にモノを申
していくことこそが要請されているのではないでしょうか?

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隣のけんちゃん