Yasuyuki Nagashimaくんを。かれは貴方と違って、つたない法律論でも、必死で、自分を表現しようとする。それに比べ、貴方はどうだろう。「〜だそうです」を言うだけですよね。で、それを言って何をしたいの?って問うことをしなかった取り巻きの人たちにも問題はあった。ぼくらが参加したときには、みんな騙されて、それが法を語ることだと洗脳されてしまっていた後だった。

いずれにせよ、fj.soc.lawにしてもfj.sci.lawにしても発展の芽が既に摘み取られていたのです。その証拠に、このようなご時世でもpoloticsはlawよりは遥かに足腰が強い。足腰の弱いlawにしてしまったのは貴方なのです。「だそうです」と干からびた知識を紹介して何を意図するのだろう、これが大方の見方であったと思う。それに対して反論するとは、「ちょっと違うんではないですか、本当は、〜だそうです」と言う会話になります。w あるいは「そうですね、確かそういうことだったようです」。この会話の意図するものは、だれがより正しく「〜だそうです」を言っているかに帰せしめられる。こんな馬鹿の会話に真剣に参加する人は極々少数です。言い換えれば、法的材料を用いた「〜だそうです」の捉え方、射止め方だったのです。素材が法であることなど本質的なことではなかった。法であるのは法の知ったかぶりをしたいがためだったのです。

貴方は、あなたが「だそうです」を紹介する前に、貴方御自信が「だそうです」の内容を読み、あなた自身はどうなのかを問うことが先なのです。そこで得られた「あなた自身」なら、ネットに取り上げる意義はあるといえましょう。けちょんけちょんにやり込められる材料として。これによって初めて議論は有意義なものとなる。