At Sat, 03 Jul 2004 09:43:53 +0900,
in the message, <40E60149.691425AA@ht.sakura.ne.jp>,
IIJIMA Hiromitsu <delmonta@ht.sakura.ne.jp> wrote
>> >一つの事象に対して、真実(あるいは正義)は一つしかない、と思ってらっしゃ
>> >るのですか?
>> 
>> 真実は1つで事実は1つではないのではないでしょうか?(^^;
>
>これは違います。

別投稿指摘の通り、「真実」「事実」の定義次第です。
ですから、定義をしないで「違います」と言うのは「違います」。

しかしなんにしても、法律上は「真実と事実とを区別することに特に意味がな
い」ので「法律上はどうでもいいこと」です。

>まず客観的事実、たとえば、この事例で言えば
>    a)裸踊りを求められ、拒否した
>    b)入部を拒否された
>    c)大会に参加できなくなった
>は、判決書では通常、「(当事者間に)争いのない事実」と記載されます。

実際に訴訟になったら、「裸踊りを強制してはいない」「(裸踊り拒否を理由
に)入部を拒否はしていない」って争うかもしれないので、そうすると「争い
のない事実」と断定することは到底できませんが
(一番ありそうなのは、「裸踊りをする習がある」という話はしたが、「断っ
 たら入部させない」とは言っていない、「裸踊りをしたくない」「裸踊りを
 させられるようなら入部したくない」とは聞いていない、とかいう反
 論。)。
ついでに言うと、「大会に参加できなくなった」についても、「うちの部に
入っている人間として大会に参加していないとしてもうちの部の人間でなくて
も大会に参加した人は何人もいるから本当に参加していないのかどうかなど知
らん」と言うこともありうる。
そうしたらこれは「不知」の主張であって「否認と推定される」んで「争いの
ない」とは限りません。


それはともかく、争いがあるかどうかなどここではどうでもいい話です。

>> 真実は1つで事実は1つではないのではないでしょうか?(^^;

の趣旨は明らかではありませんが、別投稿で書いたとおり、おそらく、「真
実」とは「客観的絶対的実体的真実」のことで「事実」とは「主観的相対的目
的的事実」のことなのでしょう。

その前提で考えますが……。

# 実はそれ以外の前提でも同じだけどね。
 要するに「真実と事実の区別など法律上意味がない」ところ、そこで「争い
 の有無」という「法律上意味のある区別」を述べて何を説明したいのか?と
 いうこと。

元々、「争いのない事実」が「客観的絶対的実体的事実」に合致している必要
は民事訴訟制度上まったくありません。
民事訴訟における事実は紛争解決の前提として法律適用の対象にすぎず、それ
が「客観的絶対的実体的事実」であるかどうかなど初めから問題ではありませ
ん。
これは争いのある事実についてもまったく同じです。
つまり、これは「争いの有無」とは無関係です。

(主要事実について)争いがなければ、当事者の主張する事実があったことに
なるし、争いがあれば証明によって裁判官が得た心証に沿った事実があったこ
とまたは真偽不明で証明責任に従って事実があったあるいはなかったことにな
るだけです。
つまり、争いの有無は、弁論主義との関係で主要事実の証明に関して法律上の
効果に違いが出るだけのことです。
どっちであってもそれが「客観的絶対的実体的事実」と合致しているかどうか
はまったく問題になりません。

「真実」などということは「訴訟上どうでもいいこと」つまり訴訟上の効果に
影響がないのですから、訴訟上の効果に影響のある即ち「訴訟上どうでもよく
ない」「争いの有無」と無関係なのは当り前です。

結局ここで問題なのは「客観的絶対的実体的事実」としての「真実」なりと
「訴訟上意味のある事実」とは違うということであって、「訴訟上意味のある
事実」が「争いのある事実とない事実」に分けられることなどは別次元の話で
す。

# ま、教養としては知っておいて損はない話ですが。
 でも、「関係ない」ということを理解しておかなければ教養としても中途半
 端ではあります。

>してあります)、民事・刑事を問わず、真実を得るためであっても違法な方法で
>集めた証拠は不採用です。

補足すると、民事においては滅多なことでは違法収集証拠排除はしません。
ただし、証明力に事実上影響する可能性がないとは言いませんが、それはあく
まで状況次第であるししょせんは証拠の評価という事実上の問題。

# なお、刑事においても違法の程度によっては証拠としての重要性との関係で
 違法収集証拠であっても排除しない場合が結構あります。
 と言うか、抽象的には、「令状主義の精神を没却するような重大な違法があ
 りかつ証拠として許容することが将来の違法捜査抑止の妨げとなるような場
 合」証拠禁止となるのですが、これは見方によっては原則(令状主義あるい
 は令状主義の例外として認められる現行犯逮捕および捜索差押。)と例外を
 入れ替えているとすら言えるほど緩くなりかねない基準。

>原告と被告の間に異議がない事項については、裁判所はわざわざ裏付けを求めず
>に、事実であると認定します。争いがあれば、前述のようにどちらの証拠のほう
>が真実味が高いかで勝敗を決しますが、その場合でも、裁判所が当事者に断りな
>く職員を法廷外に派遣して裏付けを取りに行くことはありません。

一応補足すると、「主要事実についてのみ原則として」。

間接事実・補助事実については自白は成立しないし、例外の例としては、形式
的形成訴訟である境界確定訴訟における土地の境界線の認定は自白が裁判所を
拘束しないし訴訟要件は職権調査事項。

ちなみに必要的共同訴訟においては、共同訴訟人の一部のみについては自白は
成立しません。

# ちなみに引っかけのネタとしては、「争いがなくても主張しないと事実とし
 て認められない」。
 これはどういう意味かというと、弁論主義第一テーゼの適用を受けるのは、
 「裁判上の自白(口頭弁論期日及び弁論準備手続期日における自白)のみ」
 だということ。
 裁判外でいくら自白して当事者に争いがなくても、その自白にかかる事実
 (自白したという事実ではない。)を裁判上主張しないとだめだってこと。
 例えば当事者尋問において自白があっても、当事者が主張しなければ事実は
 認定できない。
 即ち、「主張責任と(証明責任の分配による不利益認定を回避するために当
 事者が立証を行わねばならないという行為責任としての)挙証責任」は違
 うってこと。

>刑事裁判・少年審判も、まあ被害者から見れば「真実を求める場」であってほし
>いという思いは当然ありますが、一番の目的は、被告の贖罪と更正とか、社会的
>抑止力とか、そういうものに主眼がおかれています。

そんなことはありません。

刑事裁判手続というのは、究極的には国家刑罰権の「適正な」実現を図るため
の制度です。
端的に言えば、人権保障のため。
一応、「事案の真相を明らかにする」ことも刑事訴訟「法」の目的ではありま
すが、「事案の真相を明らかにする」ためだけであれば「訴訟」という制度は
必要ありません。
刑罰権の発動のために「わざわざ」訴訟手続を要求するのはやはり「人権保
障」のため。
少なくとも歴史的沿革としては。
もっとも、訴訟手続を現に行う以上、現に行う手続において「真相を明らかに
する」ことは(仮令適正でないにしても)「刑罰権の実現」には必須なので
(いやまあ盟神探湯で決める場合は真相は明らかでなくてもいいのでそれを考
 えれば真相を明らかにするのは「最低限の」適正さ担保のため、言い換えれ
 ば、一応の冤罪防止のためと言えなくもありませんが。
 ま、虚偽の自白の問題は残るけど。)
そのレベルで見れば間違いなく「訴訟の目的」ではあります
(要するに、訴訟制度を採用する理由と現に採用した訴訟制度の目的とは次
 元が違うのだという話。)。

一方、贖罪とか更正とか社会的抑止力とか言うのは、刑事政策の問題で、裁判
手続の問題ではなくて基本的には、裁判(刑罰)の(事実としての)効果・機
能の問題
(細かいことを言えば、「贖罪」ってのは元々罪を償うのに何らかの代償を
 払うことなんだけど、刑罰を受けるのは「贖罪」なのかねぇ?という気はす
 る。
 応報刑思想では、刑罰は「贖罪」とは異質ではないかと思う。)。

そもそも、無罪被告人については「贖罪とか更正とか社会的抑止力などはまっ
たく問題にならない」です
(ちなみに死刑の場合は更正が問題にならない。)。
これらは被告人が有罪であるという前提でないと成り立ちません。
しかし現行刑事訴訟に関する法令は「無罪推定の原則」に基づいているので
あって、依って立つ前提からして違います。
従ってそんなものは「一番の目的」ではないし当然そんなものに「主眼」もお
いてはいません
(この辺世間の刑事訴訟に対する感覚に過誤があるんじゃないのかねぇと思っ
 てるわけだ。
 どう贔屓目に見ても被告人が有罪であるという前提で見ているとしか思え
 ん。)。

例えばどうでもいいことを審理しないというのは、「裁判が『無駄に』長引く
と当事者に不利益を与えるし訴訟経済上も不利益」だからというのが中心的な
理由で、「有罪判決を出す場合、社会の関心が薄れない内の方が一般予防効果
が高い(かも知れない)」というのは確かにありますが、所詮二の次三の次
(しかしながら実際問題として訴訟上どうでもいいようなことが被害者らの知
 りたいことであることが果たしてそんなにあるんですかね?
 ……もっとも、被害者らが一番求めているのは「有罪という」結論であって
 「真相を知りたい」は二の次ということも少なくない気がしないでもないけ
 ど。)。

>だから、真相不明の事柄が
>あっても、それが判決に影響しないと判断されれば深く掘り下げないこともあり
>ます。それは被害者が損害賠償の民事裁判でやってくれと。

もっとも、民事でもどうでもよければやはり判断しないのですが。

そもそも民事訴訟は刑事訴訟以上に「客観的絶対的実体的事実を明らかにする
のが目的ではない」です。
刑事訴訟は刑罰権の適切な行使のために「真相」をできるだけ明らかにするこ
とが必要だけど、民事訴訟は紛争解決ができればそれで十分。
せいぜいが、「公権的終局的紛争解決を正当化する根拠として当事者の手続保
障を尽くす結果、それなりに真相が明らかになる」程度。
裁判の正当化根拠は手続保障であって真相に基づいていることじゃない
(なので民事訴訟の目的は手続保障だという人もいるわけで。
 だから、時期に遅れた攻撃防御方法として証拠申請が却下された結果、
 真相とほど遠い結論が出たところで、「手続保障を尽くしている以上まっ
 たく問題ない」。
 この点でも「真相など究極的にはどうでもいい」と言える。)。

「民事訴訟で真実追究を」とやっている人たちは多く、刑事訴訟で無罪判決が
出たが納得いかないからという理由でやっているのですが、そこで民事で勝訴
しても刑事以上に真相から遠いかも知れません。
それで真相が明らかになったと思うのは勝手ですが、所詮は、「被告(人)が
犯人であるという公権的お墨付きを得て納得できて満足したというだけ」で
す。
ぶっちゃけ、初めに被告(人)は犯人であるという前提ありきなんですよ、ほ
とんどの場合。
だけどそれは、真相が判るということとは別問題であるばかりか単なる先入観
でしかなく、真相究明の妨げにすらなりかねない。

そして、仮に民事でも敗訴しても多くの場合相変わらず被告(人)は犯人なの
ですよ被害者にとっては
(これは警察に対する根拠不明の過度な信頼に依拠していると思う。
 逮捕されればもう犯人だと思いこんでるわけでしょ。
 その前提を疑おうともしないじゃん。
 そりゃね、「結局真相は藪の中」では自分が納得できないから「嘘でもいい
 から納得したい」という心理は判らないでもないけどね……。
 でも、それってただの「逃避」(あるいは防衛機制。)にすぎないんだよ
 ね。)。
そこで実現するのは「真相を明らかにすること」ではなくて所詮は「真相が明
らかになったと思いこんで納得したいという願望を充す」ことだけ。
言い換えれば、「真相が知りたいのではなくて誰かを犯人にしたいだけ」なん
ですよ、実際には。

無罪判決が出ると「不当判決だ」って言う被害者(あるいは関係者)がよくい
るけど、「なんであんたは被告人が真犯人だと判るんだ?」といつも思う。
全ての訴訟手続に参加した人間が言うならまだ解るんだけど、全公判の傍聴の
みならず全ての検証にまで立ち会った被害者等なんているのか?
だいたい、公判中の被告人の顔すら傍聴席からじゃ見えないってのに被告人
質問の信憑性なんて判るのか?

# 刑事訴訟手続を単に捜査機関が捕まえた人物を犯人として認定するためのも
 のとでも思ってんのかね?

無罪判決に対して、「それでは別にいるはずの真犯人を何とかして捜し出して
くれ」と捜査機関に働きかける人も無論いるだろうけど、捜査機関は無罪と
なった被告人が犯人だと思っているからあまり期待できないんじゃないかって
気もする。
仮令他に真犯人がいるのかも知れないと思い直しても、最初の捜査で目星が付
かなかった「被告人以外の真犯人」を捜すというのは捜査機関のマンパワー的
にも相当に困難な話ではあろうと思うけど。

-- 
SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp