At Thu, 14 Aug 2003 23:44:44 +0900,
in the message, <20030814234444cal@nn.iij4u.or.jp>,
cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote
>前提として聞くけどこれらの例って
>人込みなんだという主張で間違いないのね?
>(どうもあたしには人込みだったとは思えないんだけど……。)
>
>人込みでないなら駄目ですよ。

そもそも「置き忘れる場合に人混みかどうかなど置き忘れる人間は意識してい
ない」「占有は占有者と物の関係を示すもの」なのに、「占有者と物の関係が
占有者と物とは別の周囲の状況で変るとすること自体が本来おかしい」と言っ
てるのだけどね。

まあその点は抜きにするとして、

At Sun, 26 Jan 2003 11:16:24 +0900,
in the message, <b0vgel$l96$1@newsl.dti.ne.jp>,
Yasuyuki Nagashima <yasu-n@horae.dti.ne.jp> wrote
>「必ずしも物の現実の所持又は監視を必要とせず、物が占有者の支配力の及
>ぶ場所に存在すれば足りる」(昭和32年11月8日最高裁判決)
>の基準からすれば、
>(この判例ではバスをまつ行列で忘れてしまった写真機を
>その間約5分、距離にして20メートルのときは占有ありとした)

という事例は、

At Sat, 08 Feb 2003 23:11:01 +0900,
in the message, <3e4508d5.3425%omegafactor@anet.ne.jp>,
SUZUKI Wataru <omegafactor@anet.ne.jp> wrote
|と考えるなら、バス待ち客の判例の事例だって置き忘れているのは同じ。
|しかもこの事例は、「混雑するバス待合所内」の事例。
|          ~~~~~~~
です。
「混雑」してても占有はあります。
だったら「人混みの中でもある場合はある」でしょ。
混雑と人混みとどう違うの?


その他にも、電車の網棚に置き忘れた事例もあるけど、これが「空いた電車と
混んだ電車で結論が変るか」というと、とてもそうとは思えない。


で、ここでふと思ったのが、判例が占有を認める一つのパターンである「占有
者が物を置き忘れるのを行為者が待っていた場合」
(占有と故意の問題をすり替えているんじゃないかとわたしが考えているも
 の。)。

これはもしかすると、
「占有者が占有していた物を置き忘れたという経緯を行為者が認識しているの
 であれば、そのような行為者の立場に一般人を置けば、占有者の占有状態は
 '行為者にとって'社会通念上継続していると考えるであろう。然れば、かよ
 うな認識があれば'行為者にとっては'占有者の『支配意思が明確に認められ
 る』と言える」
という意味なんじゃないかと。
つまり、行為者の認識について一般人なら占有者の支配意思を認めるという、
行為者の主観面の評価基準なんじゃないかと。

いわば占有の有無は、行為者の立場から見た主観的な占有者と物との関係、
で決めると。
つまり占有は客観的に決るものではない。
これだと、客観的に占有がある場合は当然「支配意思が明確」だし、行為者の
主観的にも占有は認められる。
一方、客観的には占有があると言い難くても、その状況に至る経緯を知ってい
れば知っている行為者にとって「支配意思が明確」と言え、行為者の主観にお
いて占有は認められる。

その意味だというのなら、なるほど理解できる
(理論的に妥当だとは思えないが。)。
ただ、そうだとすると周囲の状況が混んでようが空いていようが別問題で、行
為者の認識いかんによって、占有を認めることは充分可能。

そうでないのなら、
At Thu, 14 Aug 2003 22:35:36 +0900,
in the message, <3f3b8ed2.5324%omegafactor@anet.ne.jp>,
SUZUKI Wataru <omegafactor@anet.ne.jp> wrote
|At Tue, 01 Apr 2003 02:31:12 +0900,
|in the message, <3e8866e1.3788%omegafactor@anet.ne.jp>,
|SUZUKI Wataru <omegafactor@anet.ne.jp> wrote
||P.195にある類型には、
||「財物の性質等から現在地に遺棄されたものでなく、占有の意思が留保されて
|| いると推認され、かつ、その所在を認識している場合」
|と引用した通り大コンメンタール刑法は「推認され」るとしていますし、こ
|れは「明確」とは言えない。
という判例の分析を述べた文献の「推認」には明確に反しています。
「推認」が「明確」だと言うのは日本語がおかしい。

大コンメンタール刑法の分析が間違っているという主張ならその根拠を示して
下さい。
あるいは大コンメンタール刑法のわたしの理解がおかしいというならその場所
と根拠を示して下さい。

# 最近、佐々木<cal@nn.iij4u.or.jp>さんも根拠も論証しないで流すことが少
 なくないね。
 しかも人の示した論証を読み飛ばすこともあるし
 (もっともこれは投稿タイミングも含めた書き方にも問題がある場合もある
  が。)。

>|しかして、その物がなお占有者の支配内にあるというを得るか否かは
>|通常人ならば何人も首肯するであろうところの社会通念によって決するの外はない。
>としているし
>私は金沢支部判決がその具体的な基準を示したものだと
>理解しています。

その点は同意するけど、それだけが唯一の基準だという点は同意しかねるとい
うこと。

そもそも、どこにも「それが唯一絶対の基準だ」とする根拠はありません。
根拠があるならそれを「はっきり」示して下さい。

-- 
SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp