河野真治 @ 琉球大学情報工学です。(なんか、二つ投稿されてるけど...)

In article <3fbba0bb_3@news.premium-news.net>, "J_Saita3 premium" <J_Saita3@hotmail.com> writes
> 事実から価値を演繹できる例があるなら、例を言ってみてください。

例えば、日当たりの良い家は、日当たりの悪い家より良いとか。価
格とかでもいいですよね。それがすべてとは言わないけど、ある程
度、普遍的な価値を決めてます。

> かくも簡単に事実に価値を還元できる、つまり、事実から価値を演繹できるなどとい
> うことを前提にされたのでは、
> 前提に誤謬があるわけですから、後段部分の河野さんの結論はおかしいですよ。

それは君の読み方が間違ってます。なんか、思い込み入ってない?

「事実に還元しない部分での 議論は恣意的な部分が残るのは仕方
ないし、ある意味で、なにやっても良いんだよね。」ってのは、事
実に還元できない価値もあるっていう前提です。

還元できない部分は、割りとどうでもいい部分だってわけです。例
えば、「神が存在するかどうか」みたいな感じ。それを恣意的に解
決するのは良いけど、そこから出て来るのは勝手な結果だけだろっ
てわけです。

> 河野さんが、超越帰納法を使えば、コンピュータが自分の正しさを証明できるとおっ
> しゃるのですが、回路にも、ロードされたプログラムにも、前提としての価値を一切
> 用意せずに、

(文章が継ってないぞ...)

そのあたりの価値も、プログラムとかが持っている事実に依存する
価値(1+1=2 みたいな整合性から来る価値とかだな。あるいは、ゲ
ームオーバーみたいなもの。あるいは、画像の圧縮時のロスの程度)
と、人間が持ち込む価値(例えば画像データに感じるコンピュータ
が直接関与しない価値) の二つがありますね。後者は事実に還元
できる必要は無いです。

> 価値を事実に還元できるなら、価値は事実に論理的に無謬なくつながっ
> たということになり、それは、事実と価値の二元論に反するし、存在と当為の二元論
> にも反する。帰納法でも、論理的な誤謬なく事実に到達すれば、一元論だ。

別に「事実と価値の二元論」に反しても僕は困んないけど。僕は、
言語表現と言語がさすものは別だっていう二元論なので。そして、
一般意味論は、その区別がついてない。

> 「事実から価値」を、「存在から当為」を導出する場合に無意識に犯している論理上
> の誤謬を、記号論理学が犯してないとするなら、「その前提が二つとも直説法になっ
> ている場合は、その結論も直接法になるはず」であって、「結論が命令法になるため
> には前提の少なくとも一つがそれ自体命令法になっていることが必要である」とす
> る、アンリ・ポアンカレの言葉は否定されたことになる。前提群中にひとつの価値言
> 明もなくて「事実から価値」への推論が無謬的に行われるなどと、これは驚異的な自
> 然主義一元論。

だから.... その「価値」って思い込みが入りすぎ。価値っていう
言葉が持つ形式的なゲームと、それが指す内容は別物なの。それを
区別しないから「命令形」みたいな間違いが入って来ちゃう。

異なる物A,Bがあれば、それに勝手に「Aの方がBよりも価値がある」
とするのは、それこそ勝手ですよね。「10より100の方が大きい」
の「大きい」を言葉として価値とみなせば、事実に還元できる価値
を簡単に導入できます。

で、一般意味論は、その「勝手な価値」に関する議論でしかなくて、
当然と言えば当然なんだけど、あまり成功した理論になってないの
だと思う。

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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus, 
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,