河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <3fb82228$1_5@127.0.0.1>, Miya_S <kmiyashita@firemail.de> writes
> あなたの、立場が記号学か記号論に立っているだけの話でしょう。
> 論理学はそのような立場のものでしかないと断定するのは違うと思いま
> すね。

言語を使って学問をする以上、記号論があらゆる学問の基本にある
のは仕方がないです。もちろん、記号論に収まらない範囲も研究す
るわけだけど、それでも記号論に反するものが出て来るわけではな
いですね。

この言葉で表された「もの」と「言葉」そのものを区別するのは、
フレーゲ以来の基本的な立場です。それをおかしくすると、いろん
な矛盾が出て来てしまう。一般意味論は、それをもう一度曖昧にす
るという宗教的な活動でしか無い。そこが時代遅れなわけさ。

> まさに、記号学、記号論、記号・・・とうレベルでの矮小化した視点で
> す。それでは、価値は論じても、池の中ですよ。
> そもそも、記号論理学は、前提に価値を持たなければ、いかなる価値も
> 結理論に出せない。そんなものいくら論じてもアリストテレスの価値の
> 問題は、洗い出せないね。

人間の論理的な認識が言語で行なわれている以上、価値あるいはも
の自体は、言語に先行して論理的に認識することはできないです。
一方で、言語を伴わない認識は、行動とか反応に結び付いていて、
機械的なものに過ぎません。

そこから、愛だの神だのを引き出すためには記号的なものをもって
こざるを得ないわけだけど、それらが記号に先行して存在するって
思い込んでるのが一般意味論だろ? 

そんなんじゃだめなの。有限な記号の中から、無限の構造を想像し
ているだけであることを認識し、その限界を知りつつ、その構造を
より詳しく模倣する有限な記号の構造を作り上げていくのが今の論
理学の立場です。

> 最後にあなたにお伺いする。
> コンピュータは自分の正しさを証明できるとでも?

コンピュータの動作は有限なので、自分の正しさをより大きなコン
ピュータを通して証明することが出来ます。そんなことを知らない
の? 

Turing Machine とか一階述語論理そのものは有限ではなく、アレ
フ0の無限を含んでしまっているので、アレフ0の無限しか扱えない
状況では自分自身の正しさを証明することはできません。一方で、
より高階の無限が扱える状況(例えば、超越帰納法が使えるような)
では、それらの正しさを証明できます。実際、一階述語論理の完全
性の証明とかもあるわけだからさ。

> アリストテレスのここでの問題は、自分の認識の正しさを論じているも
> の。コンピュータの構造論ではないが。

論じるのと、限界がどこにあるかを明解にするのとは大きな差が
あります。一般意味論は、そのあたりではっきり後退していると
思う。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus, 
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,