佐々木将人@函館 です。

>From:YASUI Hiroki <jyasui@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>Date:2004/03/31 17:24:13 JST
>Message-ID:<ymrm4qs52zma.fsf@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>
>設定を直したので大丈夫だと思いますが、不具合があれば御指摘下さい。

大丈夫です。

>前記事で私が書いた学説史に関するコメントは、佐々木さんの記事
><20040308215348cal@nn.iij4u.or.jp>における、
>>>> 明治憲法の解釈は困難ですし
>>>> 明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
>との主張に触発されたものです。この引用の中の後段の主張は明らかに学
>説史の理解の程度を論難したものとなっていましたので、
>> 「歴史的な経緯」を重視したもの
>としてコメントすべきだと考えました。
>非歴史的な文理解釈に特化した法解釈を論ずるにとどめたいのでしたら、
>「明治憲法の学説状況」を云々すべきではなかったと思います。

私は
「正確な法解釈の理解なくして学説史の理解は不可能」
という立場です。
言い換えるならば
「学説の理解なくして学説史の理解は不可能」
という立場です。

まして人によっては
20〜30年前は既に歴史の領域に入っているかもしれません。
そうすればまさに「学説史」の話なのです。

そこにおける佐藤功先生をあのように切り捨てる判断基準で
明治憲法の学説状況を読み取ることが不可能であることは
容易に推論可能だと思いますが、
そのような判断基準でも
明治憲法の学説状況を読み取ることが可能であるほど
明治憲法の学説状況は単純なものだったのでしょうか?
(そんな単純な話ではなかったことは
 私は直感でしか感じていませんでしたが
 その詳細を安井さんが示したものだと理解しています。)

>それを言うなら、あらゆる憲法が「破綻している」ということになってし
>まいます。

というので以下を検討してみましたが
その理由が

>定義上、主権者は対内的に最高の存在であるはずですが、憲法制定によっ
>てその権力行使には制限が設けられています。それは君主主権の国であろ
>うと、国民主権の国であろうと、立憲政体の国であれば同じです。
> # と言うより、権力行使に制限を設けることが憲法の存在理由です。
>そうである以上、憲法制定後の「大権が制限的」となることに何の「破綻」
>もありはしません。むしろ、大権を制限しなければ憲法を制定する意味は
>ないということになります。

というのであれば、なんのことはない
明治憲法を立憲主義的に解そうとする立場を
アプリオリに前提として採用した立論にすぎず
「明治憲法はそういう意味のある憲法だったのですか?」という問いに対する
積極的な理由付けにはなっていないと思います。

ちなみに君主主権と国民主権とを
「憲法制定権力の主体の違いにすぎない」
と評価する立論については
芦部先生が「憲法制定権力」p43中で批判を加えています。
「もちろん、一般に行われているように、絶対君主制憲法の原則である君主
 主権を君主の制憲権として説明することは不可能ではない。しかしその場
 合の制憲権は、本来の歴史的意味を全く離れた説明の技術であるにすぎな
 い。」

この前提に立つなら
国民主権の下で憲法制定権力が発動して憲法を制定することと
君主が君主主権の下で憲法を定めることとは
意味が異なることになります。

同書はp6においてイギリスとフランスの歴史的な例を出していますが
そこでは
「中世においては、君主は無答責であり、それゆえに絶対的であったが、
 これは君主の権力が専断的であることを意味するものではなかった。」
という前提を置いた上で
「マッキルヴェインの研究にしたがえば、君主の権力の彼方に権力の行使の
 正当性を決定する「あるもの」が存在したことを意味する。」
と展開し
イギリスにおいてはそのあるものが「古来の慣習」とされ
コモンロー優位の原則へ高められ、「理性の法」と呼ばれ
君主をも拘束されると考えられたのに対し
フランスにおいてはその経過がなく
ゆえに「道徳的・抽象的」な性格が強かったため
「国王の権力に対する道徳的な制限にすぎなかった」
と論じています。

「大権が制限的か否か」という点を論ずるのであれば
同書の上記の展開のように
なんらかのプラスアルファが必要であると考えます。
「憲法が定められた」というだけでは
「憲法で法的に制限的となった」ことにはならないのが
フランスにおける上記記述で明らかです。

なお、

>この点は、明治憲法制定の中心人物であった伊藤博文も強く自覚しており、
(省略)
>伊藤は「大権が制限的」であるようにすることこそが「立憲政体の本義」
>であると考え、天皇親政を志向する宮中勢力や保守派からの抵抗を抑え込
>んで、「大権が制限的」な形の明治憲法を制定したのです。

という記述において
「伊藤博文は天皇機関説に近い理解を示していた」
という主張をされることに反論はしませんが
以上の次第ですから

>憲法という存在のそもそもの存在意義

については理由になっていませんし

>明確な立法者意思を無視してまでそのように論ずることには、少な
>からぬ無理があるように思われます。

そもそも法解釈においては
立法者意思拘束説は採用されていません。

さて

>> そしてどちらかと言えばと言いつつ
>> 「天皇神格化じゃないの?」という判断にいたったのは
>> やはりプラスアルファの部分に
>> 先祖たる神々を根拠に持ち出している部分です。

の話ですが、
以上の記述をなすため「憲法制定権力」を読んでいて
私は今1つの疑問を持つにいたっています。

というのは
ヨーロッパにおける「神の法」「自然の法」と言った場合の
「神の法」の正体が
「古来の慣習に由来し、共同体を構成する各個人の主観的権利と未分離の状
 態にある客観的法」(同書p5)
なのであれば
ヨーロッパの憲法で用いられる神と明治憲法が用いた神とを
同一視することはできないのではないかというものです。
(安井さんは今までの立論を見る限り
 神(のようなもの?)を特段区別していないようですが。)
「古来の慣習に由来し、共同体を構成する各個人の主観的権利と未分離の状
 態にある客観的法」(同書p5)
は日本に存在し、その背景の下に明治憲法ができたのでしょうか?

この点私も確固たるものはもっていませんが
現在のところ
「その背景の下の明治憲法」という点には否定的です。

>立憲学派の主張は、「神聖」という言葉を「法的に無意味」とするもので
>はありません。

う〜む。
それは立憲学派の主張なのでしょうか?
もしそうだとして
法学協会「詳解日本国憲法」が
「法的に無意味とするもの」という評価もしくは総括をしたのは
なぜなのでしょう?

>と論じていらっしゃいますが、“グローバル・スタンダード”とも言うべ
>き地位にあった西洋の学問体系に基づいて議論するなら、そこでの常識に
>沿った立憲学派の方が多数派となるのはごく自然なように思われます。

この点ですが
上で指摘したとおり
「憲法を制定する目的は権力の制限」であることと
「憲法という名の法律が存在している理由」とは別論です。
後者については聖徳太子の手になる十七条の憲法を例にあげるだけでいいでしょう。
そして何か他の理由がない限り
立憲学派の主張は「そうしたいからそうする」にしかすぎないことになります。

これは逆の例示が可能です。
例えば現行憲法について天皇の実質的権力を認める方向での解釈は可能です。
なにせ政府権力の一定の者については天皇が任命する訳ですから。
現実にはそのような解釈は到底通用しない訳ですが
なぜ通用しないかと言えば
それなりにきちんとした理由がある訳でして
憲法制定の目的などに依存する必要はないのです。

次に

>「明定されず」とは“はっきりとはしていなかった”との意味です。“否
>定されていた”という意味ではないことに御注意下さい。

ですが、
その説明が

>『法律学小辞典』が明治憲法における大臣責任制について「明定されず」
>と説明している所以は、明治憲法55条が各国務大臣の天皇に対する責任を
>規定している一方で、立憲学派の双璧たる美濃部達吉と佐々木惣一が大臣
>の議会に対する責任をも論じていたことを反映しているからでしょう。

だとすれば
それは同時に立憲学派の主張を採用することができないという判断をも
示していませんか?
(無視はできないが否定的という意味において。)

そもそも安井さんは

>>そもそも、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣が負うという
>>システムを指す言葉であって、責任を負う対象を議会に限定しているとは
>>限りません。

という立場ですし
私もいったんはその説明を受け入れたのですが
再考するに
「いくらなんでも任命権者に対する責任で
 「大臣責任制」という概念を使用するの?」
という疑問がわきあがっています。

法的に言えば任命権者に対し
被任命者(受命者とでも言うべきか?)が責任を負わないということの方が
むしろレアケースでしょう。
大化の改新後左大臣や右大臣が任命されておりますし
彼らが国務に関する政治的責任を負っていたこともまず間違いない。
だからと言ってこれを「大臣責任制」と呼ぶのでしょうか?

そうだとすれば「大臣責任制」とはなんのことはない
・大臣という名称の官職が置かれ
・国務に関することを司る
のであればすべからくあてはまる用語ということになります。

この意味で間違いなければ
明治憲法下で大臣という官職が置かれ国務に関することを司っていたことを
否定するつもりは全くありませんから
明治憲法55条を持ち出さなくても「大臣責任制」であったことを
否定しませんし
「議院内閣制と大臣責任制の区別ができていない」
という批判も甘んじて受けましょう。

しかし、少なくとも法律学小辞典のような用法の
「大臣責任制」は
任命権者に対して責任をとることをもって
言い換えれば
・大臣という名称の官職が置かれ
・国務に関することを司る
だけで成立するものではないのではないでしょうか?

だからこそ「もっぱら議会に対し」ですし
「明治憲法では明定されず」なのだと。

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
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ルフィミア「まさと先輩、今年もよろしくお願いします。」
まさと「振袖着れるようになったの?」ルフィミア「はい。勉強しました。」