Re: 質問: 大日本帝國憲法 第三条について(Re: 近代日本史の痛恨)
SASAKI Masatoさんの<20040226185008cal@nn.iij4u.or.jp>から
>そもそも法律情報についてwebの情報だけで判断するのは危険です。
>現に現行憲法の本にさえまがりなりにも書いてあることが
>「不明です」
>になってしまっています。
>前述佐藤功先生の本でもいいですし
>下で紹介する本でもいいでしょう。
>まず読んでみてください。
>きちんと書いています。
佐藤功先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。
図書館にあった憲法の本によれば、主権の在り方について天皇機関説と天皇
主権説が有り時代により片方が有力な説(国家公認の説)になった、という事
だと思います。
>また美濃部先生が有力な憲法学者であることを争うつもりはありませんが
>美濃部先生の憲法学説をもって
>当時の通説の線であったと判断するのは
>あまりにも単純な理解だと思います。
>私自身例えば天皇機関説については
>「当時の通説からそれほど外れたものではなかった」
>「国家法人説の影響によるもので(憲法の解釈として)批判が大きかった」
>という双方の説明を見聞しています。
「当時」とは具体的には何年のことでしょうか。
>
>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>れたとは思えません。
>
>それは法律の問題ではありません。
>
>> 最初からそうなら天皇機関説排撃運動は起きなかったと思います。
>
>気のせいです。
>法律の問題から離れますが
>天皇機関説を法解釈の問題だけとしか考えないのであれば
>それこそ歴史学の成果を無視するものでしょう。
「それは法律の問題ではありません。」
>
>>排撃運動
>>が起こったのは「明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています」と
>>考えられていなかったのでは。
>
>違います。
論拠も示さずに断言しても無意味です。
・1912(大正1)年に上杉慎吉が美濃部の天皇機関説を批判して論争が
起きたが、美濃部の学説は多くの学者に支持され1920年代には
国家公認の憲法学説としての権威を得た。
・1935(昭和10)年に機関説排撃運動が起こり、美濃部の
天皇機関説は国体に背く学説として攻撃された。
という出来事は、憲法論争で天皇機関説が勝ち20年以上国家公認の憲法学
説だったが、政治運動としての天皇機関説排撃運動が起こり国家公認の憲法
学説でなくなった事を示しています。
>
>>第五十五条
>> 1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
>> 2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
>>は大臣責任制を示しているのでは。
>
>大臣責任制の意味を正確に理解してください。
>特に誰の誰に対する責任なのか。
>
>法学協会著 有斐閣発行 詳解日本国憲法p90から
>(なお新漢字に直しています)
>「これは一応、大臣責任制を導入し、立憲君主制を採用するものということ
> ができよう。だがそこには、旧憲法特有の独自性、例外、留保が数多くつ
> きまとっていた。そしてそのうちいくつかは、責任政治の原則そのものを
> 否定し去りうるほど大きな例外であったのである。」
>結局形式は大臣責任制かもしれないが実質は違うと言っているのです。
法はその社会の実情に合わせて作られる物だと思います。従って旧憲法が当
時の日本の実情に合わせて作られたなら、大臣責任制の内容が旧憲法特有の物
であっても当然だと思います。
>そしてこの記述はその理由を7点あげています。
>要約して紹介しますが
>「天皇の神聖不可侵の規定は、しばしば立憲君主制における君主の無答責以
> 上を意味するものとされた。即ち天皇が神の子孫として神格を有する−−
> 現御神である−−ことを現す趣旨であるというのである。
天皇の神聖不可侵の規定は
「立憲君主制における君主の無答責+天皇が神の子孫として神格を有する」と
いう説です。
つまり、天皇の神聖不可侵の規定は
「立憲君主制における君主の無答責」を否定していないし、
「天皇が神の子孫として神格を有する」だけだともしていない、
という説です。
> かかる憲法学説
> は今でこそ荒唐無稽に感じられるが、神意(神勅)を以て政治の矩とする
> 旧憲法の建前からすると、ある意味では自然の結論であった。」
宗教やイデオロギーはそれを信じたくない人には荒唐無稽に感じられます。
>なおこの文に引き続き美濃部説についてこう述べています
>「天皇の不可侵性を厳重に立憲君主制の枠内のものとして理解しようとする
> 立場もあったが、その場合にもその内容はかなり高度のものとして理解さ
> れざるをえなかったのである」
>その注で
>「この立場においては、「神聖」なる語には法律的意義なしとされる」
>とあります。
>……意義なしとしないといけない無理がある訳です。
フランス人権宣言 第17条 所有権は神聖かつ不可侵の権利であるから、何
人も適法に確認された公共の必要が明白にそれを要求する場合であって、また
事前の公正な補償の条件の下でなければ、それを奪われることはない。
第17条の「神聖」なる語は、所有権を神格化するものなのでしょうか、それ
とも、法律的意義なしなのでしょうか。
>その他
>「大臣は天皇の輔弼者であり、天皇に対し責任を負う」
>(大臣責任制における責任とは議会に対するもの。
> そのため後に議院内閣制に発展する。)
>「天皇は大臣を自由に任免できた。
天皇が大臣を自由に任免した事例を教えて下さい。
> しかも実際には憲法上の制度ではない
> 「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた。」
大臣の任免について憲法に規定がないので、『憲法上の制度ではない「内大
臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』事を批判しても無意味だ
と思います。
また、『「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』のな
ら、それを「天皇は大臣を自由に任免できた」というのは無茶だと思います。
>「大臣の輔弼・責任は個別責任であって連帯責任ではない。」
>「輔弼はそもそも天皇大権のすべてには及ばない。」
>「大臣以外にも輔弼機関があった。
> 議会の信任を得ている政府が無責任の地位にある者の言動で打倒され得
> しかも憲法上も可能とされていた。」
>
>これに対しイギリスにおける君主無答責は
>大臣は議会に対して責任を負うという原則と対応していましたし
>内閣が連帯責任を負うものでした。
明治憲法がビスマルク憲法を元に作られているのなら、イギリスにおける君
主無答責と異なっていても当然だと思います。
# 「明治政府の方向性もいわゆるビスマルク憲法(1871年)を
# 向いていたと私は考えています」というのは、明治憲法が
# ビスマルク憲法の影響を受けていると言う意見だと受け取りました。
「明治憲法はビスマルク憲法の影響を受けている」と言う説と、「明治憲法
はプロシャ憲法の影響を受けている」と言う説とが有りますがどちらが正しい
のでしょうか。両方のの影響を受けているのでしょうか。
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