先ず、幕末から明治の初期に関して、非常に残念なことは、
“維新の三傑" --- と言っても、その三人に誰を選ぶかは
人によって違うであろうが --- (坂本)竜馬,西郷(隆盛),
大久保(利通)が、相次いで非業の死を遂げてしまったこと
である。 せめて、大久保が命を全うしていてくれたなら
よかったのだが・・・。

# 大久保は事あるごとに、天皇:睦仁(明治天皇)を
“諌(いさ)めた”と言う。

そんな大久保が、(明治)憲法の制定時に健在であった
ならば、「天皇は神聖にして犯すべからず」などと
いう“天皇神格化条文”を憲法に織り込ませていた
ろうか?

伊藤(博文)などという、維新での二流の人物が明治政権
の実権を握るようになってシマッタのは、その後の日本
にとって、不幸なことだった。 彼は「普仏戦争」に
おけるプロシャの勝利に目が眩(くら)み、明治憲法を
プロシャ憲法に範をとったものにしてシマッタ。

これが、そもそもの間違いだった。 

この「誤り」を修正する好機は、プロシャの後継国家
である帝政ドイツが(第一次)世界大戦で敗れた時だった
のだが、不幸にも、この時期の日本は「人材を欠いて」
いた。

裕仁天皇(昭和天皇)は、生物学者であったのだから、
まさか、自己を「神だ」などとは思っていなかった筈
である。 彼は、大東亜戦の敗戦後に、いわゆる“人間
宣言”を行ったのだったが、それは「遅きに失した」
と言えよう。 彼は英国にかなりの間、滞在していた
ことがあり、時の英国王;ジョージ五世から立憲君主
制における君主にあるべき姿というものを直々に学んで
いた筈であり、帝政ドイツが大戦に敗れた時点で、
進んで「人間宣言」をし、憲法改正の口火を切って
いたいたならば、まさしくそれは≪英断≫として、
後世に語り告がれることになっていたであろう。


もう一つの「痛恨事」は、ワシントン会議で(日英
同盟に楔を打ち込もうとする)アメリカの意図が
見抜けず、ノコノコとワシントンまで出かけて、
まんまとアメリカの思う壺に嵌ってしまい、折角の
“日英同盟”を解消してシマッタことである。

為に、日本は、(アーリア人至上主義を掲げる)ナチス・
ドイツなどという、イデオロギー的には全く背反する
国家と同盟を結ぶなどという“愚挙”に走ることを
余儀なくされてシマッタのだった。


フランス革命では、女性たちが大変おおきな役割を
果たした。 日本でも、富山の米騒動では、漁師の妻
たちが大挙して米屋に押しかけて、その主役を演じた。

それなに、東京のサラリーマンの妻たちは惰眠を
貪(むさぼ)り、富山の漁師の妻たちを冷笑していた。

東京の女たちが大挙して陸軍省などに押しかけて
いたならば、日本の軍国主義化は防げたに相違なく、
後に空襲「で焼き殺される破目になることも無かった
であろう。



M_SHIRAISHI @ The_New_York_Academy_of_Sciences

http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html