Kiwiです。

Hiroki Kashiwazaki <reo@cc.hokudai.ac.jp> wrote:

|> ともあれ、ロマン・ポリャンスキー、この作品で本当に映画史に名を残
|> すとみました。また、CG全盛の映画シーンでCGの対局にあるこの動きは、
|> ポストCG時代の本流となる感触を秘めているのではないでしょうか。
|
|CGは使われてはいるけれどもその使い方が実に適切なんですよね。日本の
|感覚に近いかもしれません。CGとは分からないようにそっと使う、という
|感じで。まあこのごろの日本の映画でも、あからさまな使い方をしている
|作品が多くありますけどね。

確かに今やCGを使っていない映画なんてないでしょうからおっしゃる通
りでしょう。が、ここで言っていることは部分的にCGが使われているか
どうかもあまり関係なくて、「CGの対局にあるこの動き」がおもしろい
ぞと言うことです。書き方わかりにくくてスマンです。
        ↓
        |ご承知の通り、「ピアニスト映画」はここ十年ほどピアノ演奏そのもの
        |の迫力を映画演出の要素に取り入れるようになってきていました。
        |
        |そうした動きのひとつの頂点に立つのがこの「戦場のピアニスト」だと
        |いう印象です。
        |
        |特に、ポリャンスキー監督生涯のモチーフであるシュールレアリスム映
        |像を、詳細かつリアルに描き出した歴史ドラマの中に違和感なく納める
        |よう演出された「戦場でのピアノ演奏シーン」の出来は秀逸、

先駆的にはミロシュ・フォアマンの「アマデウス」に始まり、「シャイ
ン」「海の上のピアニスト」などを経て「戦場のピアニスト」に至る経
過の中で、演奏の「吹き替え」どころか演奏しているシーンがデタラメ
でも一向に関知しなかったような昔のピアニスト映画(ex.「ピアニスト
を撃て」「ラスト・コンサート」等々)と違って、間に合わせではない
本物の演奏家の演奏を、役者も本当に演奏しているかのように見せるよ
うトレーニングを積んで撮影に臨む、という撮影ポリシーのようなもの
のことを言っています。

        この文脈だと「ピアノレッスン」は「演奏がデタラメでも関知しな
        かった昔のピアニスト映画」に分類されると思います。

邦画でも、「ミスター・ルーキー」で、井坂聡監督が、「野球シーンは
本物のプロのプレイで」というポリシーで臨んで映像的に成功しました
が、そのピアニスト版、音楽家版が静かに進行して行っている、という
のがいいたいこと。このぐらいの補足説明でご勘弁を。

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Kiwi / 川島  貴 <kiwi@do-z.net>
http://www.cinemasaloon.com/