Re: 疑問 2 つ
In article <4C9A3C62.8090202@yahoo.co.jp> tx_sawaki@yahoo.co.jp writes:
>> 「府中市」は二箇所有る固有名詞ですが、「府中町」はもっとあるかも知れま
>> せん。府中自体は日本中に在った訳ですが、必ずしもそう呼んでたのでもなさ
>> そうですね。
> 府中という位置づけをそこの住民がどう評価していたか、ということじゃないですか
>ね。人の往来とか書類上のやり取りが増えると、どこの国の府中かを区別するために国名
>を付けて区別するようになったんだと思いますが、結局は、住民がその地名を誇りに思っ
>たり重要な機能(経済、政治)が継続していたりする所だけが、地名として残ったのだと
>思います。逆に、不要となったり後の為政者が政治的意図で改名したりした場合には忘れ
>去られた、ということじゃないですかね。
現存市町村名として「府中」なり「国府」なりが使われている事例には、
合併に際して、どこからも文句が出ない地名として選ばれたというのもあります。
たしか、飛騨と阿波はそうだったんじゃないかと思います。
この場合、一旦地名として使われなくなったのが復活したことになりますね。
「府中」に関しては、他国との区別の必要があれば
「○○府中」と国名を付せば良いわけで、
そこらへんは、文脈との関係が明確です。
で、「○○府中」を略して「駿府」とか「甲府」とか呼んだのが
地名として定着してしまう事例もあるわけです。
#厳密に言うと、「駿府」「甲府」は中世に分国支配した大名が居た場所で、
#古代の国府ではありません。いずれも古代国府のすぐ近くなんですけどね。
「府中」ではなくて類義語の「府内」ですけども、
豊後の府内は近世を通じて「府内」としか呼ばれませんでした。
明治の廃藩置県で、最初に「全ての藩をそのまま県に」したときは
「府内県」になったようです。
しかし、流石に「府内」では日本のどこだか判らんという話になったのか、
半年後に整理統廃合して、日本史の教科書に「廃藩置県後の様子」として
よく出てくる地図の状態になった際に「大分県」になったようです。
この県名は「府内」が所属する「大分郡」から取ったものです。
この段階では「大分県の県庁所在地は府内」だったのですが、
明治中期に「市町村制」を整備する際に、
街の名前を県名に合わせて変えてしまい、現在の「大分市」になったわけです。
固有名詞としての特定性に欠けると、
それを理由に改称されてしまうという場合もあるということで。
戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
toda@lbm.go.jp
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