SHIINO Masayoshi wrote:
> In article <4C92690A.2080508@yahoo.co.jp>,
> Sawaki Takayuki  <tx_sawaki@yahoo.co.jp> wrote:
> >(2010/09/12 23:23), SHIINO Masayoshi wrote:
> >> これは亡父から聞いた話ですが、父の学生時代、父が居た国語教室では
> >> 「先生」が「固有名詞」だったそうです。国文学教室では固有名詞には
> >> ならなかったらしい。
> > これは、国語教室には先生は一人かいなかったけれど、国文学教室には複数いた、とい
> >うことですか?あるいは、前者は「先生」に値する人物は一人しかおらず、そこで学んだ
> >生徒が教師になったとしても、やはり相対的な位置づけとして「先生」とは呼ばれなかっ
> >たとか?
> どう云う人を「先生」と呼ぶかに拠ってどちらとも取れます。
> 助教授以上の人に就いては前者、助手 (当時の制度では教官) を含めれば後者、
> と云う風に聞いています。講師はどうなってたか判りません。

 なるほど。

> # 私の時代でも、工学部では助手を「先生」とは思ってなかった

 これは、大学あるいは学部毎の「文化」かな。

> >> 他にも、田舎に行くと、「駅」とか「局」とかが固有名詞として機能し
> >> ます。西欧の言葉だと「定冠詞が付く」みたいな感じです。
> > 結局、どういう集団を取り上げて考えるかで、固有名詞の概念も変わる、ということで
> >すかね?
> そうも言えますが、バス停・電停の名前とか通りの名称になってしまうと、特
> 定の集団の言葉とも言い難い様に思います。流石に「駅」とか「局」とかでは
> 有りませんが、「郵便局前」「女子大前」「区役所通り」「見番通り」等々。

 それでも、市・町・村・区域・集落等大きさは様々ですが、ともかくある大きさで区切
られたある集団(地域住民)を取り上げれば、その地域住民にとっては、そのもやっ〜と
した一般名詞みたいな名称でも一箇所を特定できる固有名詞として機能しますので、やは
り固有名詞(特に地名)の概念は集団の性状(文化、生活、言語)に依存している、と言
えると思います。
 しかし、そこに他の地域から別の集団が入り込んだり(移住、観光等)、あるいはその
地域外部から評価・対比されたりすると、先住民と新住民・他地域の住民との間の相互の
意思が通じなくなり始めるということでしょう。つまり、「そんなあやふやな名前じゃど
こだかわからない」ということに。
 
> 「府中市」は二箇所有る固有名詞ですが、「府中町」はもっとあるかも知れま
> せん。府中自体は日本中に在った訳ですが、必ずしもそう呼んでたのでもなさ
> そうですね。

 府中という位置づけをそこの住民がどう評価していたか、ということじゃないですか
ね。人の往来とか書類上のやり取りが増えると、どこの国の府中かを区別するために国名
を付けて区別するようになったんだと思いますが、結局は、住民がその地名を誇りに思っ
たり重要な機能(経済、政治)が継続していたりする所だけが、地名として残ったのだと
思います。逆に、不要となったり後の為政者が政治的意図で改名したりした場合には忘れ
去られた、ということじゃないですかね。
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\\             ・ : 佐脇貴幸
 \☆  /\/\  .: ・    tx_sawaki@yahoo.co.jp
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