In article <41676879$0$988$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>
        wacky <wacky@all.at> writes:
>>「何かが問題になったときは、各参加者が自分の意見を持ち、それを基に
>>皆で議論して結論を出す。一意の結論を出す必要がある場合は場合によっては
>>投票をする。一意の結論を出す必要が無いときは結論が出ないままに議論が
>>終わる場合もある」が、fjのポリシーで、それがfjのいいところだと思います。
>
> それが良い所かどうかは知りませんが、そういった「行き当たりばったり」が
> ポリシーと呼ばれるチャンスは少ないのではないのかと思います。
> 常に一意の結論を得る必要はありませんが、一意の結論が得られる場合はその
> 結論はある考え方に基づいたもので*なければならない*。そしてその「ある考
> え方」を指してポリシーと称するのであろうと思います。

時代は変化しますし、参加者も変動します。
法律が変わったわけではないのに裁判所の判断が変わったりすることを容認しませんか?

> 従って、「一意の結論が出ない場合があることを容認する」ならばポリシーの
> 一つと言えますが「その場その場で適当に考えれば良いじゃん」ってのはポリ
> シーからは遠い、まあ「逆説的」なモノを感じます。

個々の人について考えてみると、個々の人はwackyさん的意味においてもポリシーを
持っていることが多いと思います。その場その場で適当に考えるんじゃなくて。

>>例えばどういった状態であれば「fjにポリシーがある」と呼びますか?
>>もしかして、成文化された法律のようなものがあって、
>>それの適用を判断する裁判所のようなものが存在する状態?
>
> 上記。プラス、
> 成文化されたものがあった方が良いことは間違いないでしょう。

可能ならそれでもいいですが。(後述*1)

> 警官が行き当たりばったりに誰でも捕まえることが出来るよりは刑法や道交法
> があった方が良いという意味で。

状況に合わない法律の適用でつかまるのは嫌ですよね?
実社会では「転び公妨」というのがあるので警官は恣意的に逮捕可能です。
こういう例で言うなら、fjでは警察が無くて参加者全員が裁判官であるということかな。
この場合裁判のベースとなるのは法律と常識と、netnewsやfj特有の若干の基準です。

> 「何かあったらその場で考える」って手法では物事の是非に比して「その場の
> 主流の考え方」や「その場で発言力の強い人の考え方」が表現される可能性が
> 高くなるでしょう。そのような社会は言ってみれば*中学生の部活*みたいなも
> ので「3年生」には天国、「1年生」は頭を低くして時には理不尽な暴力に耐
> えなければならない。引き換えにしても得るものがあるってんならともかく今
> のfjが寂れるのも「むべなるかな」です。

文章だけによる議論なんで、文章を書くのが苦手とか、論理的な議論の組み立てが
苦手な人の意見は、そうでない人の意見より尊重されにくいですが、これは一般の
会議(やおそらく裁判)でも同様ですね。物理的に声が大きい人や、地位の高い人が
得をすることは無いという意味では一般の会議より良いと思います。
1年生=議論の苦手な人、3年生=議論の得意な人だと解釈しましたが。合ってます?
あるいは1年生=議論に参加しない人かな?議論に参加しない人の意見が議論の結果に
反映されないのは当然ですよね。

> たとえばNGMPの非営利規定はポリシーですが、
> #実際、短い文章で良くツボを押さえている。決して不完全なんかじゃない。
> これまでの議論を見ても明らかなように「営利」一つとっても考え方は様々
> で、幾らでも拡大解釈可能であり、その場その場で「拡大解釈して非難する」
> ことも「拡大解釈して擁護する」ことも容易なわけです。
> こういった場合、法に対する施行令のようなものがあると収束しやすく一意の
> 結論を得る可能性が高まるわけで、それが非営利規定に対するAUPであろうと
> 思います。

*1
参加者全員が納得するようなその施行令のようなものが出来るのなら賛成しますが。
無いものねだりじゃないのかな、というのが私の考え。
wackyさんは自分で作るつもりは無いんですよね?ますます無いものねだり。

そういう施行令のようなものが無い状態では、個別に議論するしかないです。
「あればいい」と「ある」のは違うし、「あればいい」と思っても思うだけでは
存在しません。
-- 
tksotn