神戸です。

On Fri, 18 Feb 2005 22:02:12 +0900, v *^。^* <go_to_trash@mail.goo.ne.jp> 
wrote:
> 神戸隆行 <kando@nerimadors.or.jp> ちゃんの <opsmd3qojte5o5lm@news.media.kyoto- 
> u.ac.jp> から
> 〓> 私が言いたいのは、権威を持つ人々は、*ご都合主義*で勝手にルールを
> 〓> 変えたり、ありもしないルールを持ち出したり、またある時は、相手を
> 〓> 非難したありもしないルールを利用したりする人々だということです。
> 〓ルールとは自然現象ではなく人工物なので
> 〓必要に応じてそれが開発されるまで「ありもしない」のは当然です。
> 「ありもしない」ものは「ありもしない」のです。
> 形を成したものが人工物なのです。

私は規則(と規則の体系)は必要に応じて作られるものだと言っています。
例えば、法律ならそういった行為は立法と言われるでしょう。
規則の体系に注目するなら、個々の規則の変更はことも規則の体系を作成することの一部です。
運営上必要であれば新たな規則の体系を作る
(含む:「規則を作る」、「規則を変える」、「規則を消す」)のは
当然ではないですか?
その場合なかったものが作り出されたわけです。
かつて存在しなかった無かったことは非難の理由にはなりません。

> 〓また全てのシステムは目的を持って設計されるので、その目的に沿わず、
> 〓そのシステムが本来の目的を果たすことに対して障害となるものを
> 〓排除するのは戸口から出る前にドアを開けなければならないのと同様に
> 〓非常に当たり前のことです。
>
> 「非常に当たり前」という事実があれば、室内の気圧を上げて
> 外部からの進入を阻止するのもまた「非常に当たり前」のこと
> なのです。

ハァ(°Д° )?
えーっと、それは何の例えですか?
もしかしてドアを開ける別の方法(即ち障害物を除去する規則の対案)の提案ですか?
でもここで私は具体的にどういう規則を作るかは問題にしておらず、
単に運営の目的に対する障害を取り除くための規則を作るのは当然だといってるだけなので
そちらの出された例の脈絡がわかりません。

> 〓そして規則とは目的に対して都合よくなるよう設定されるわけで、
> 〓本質的に極めて「ご都合主義」なものなのです。
> 規則とは「おきて」であり、「おきて」とは設定されたその
> 物差しに忠実でなければなりません。
> 物差しも不動でなければ、物差しとはいえません。

規則を「おきて」と言い換えても別に新しい主張ができるようには思えません。
「おきて」「ものさし」云々に何か過剰な思いいれがおありになるようですが、
ものさしは長さという物理量に対して選ばれた単なる基準となる比較対象であるに過ぎません。

規則は目的の達成に対して合理的であればよいだけです。
合理的であるかどうかという判断は根拠となる知識に基づいてなされます。
知識は誤りの訂正や新発見により更新されるものです。
当然、昔は分からなかった事実が明らかになれば知識は書き換えられ、
必要ならば規則も更新されて当然です。

例えば実際運営してみて事前に予見できなかった現象が運営の障害となり、
その障害を取り除く方法が発見されれば
規則はその発見を利用する形へと改正されて当然です。

#・・・というかgo_to_trash氏の主張って、
#もしかして現代日本は律令国家でなければならん!
#何故ならものさしは不動であるが故に掟も変えてはならぬのじゃぁぁぁ!
#武家諸法度も大日本国憲法も日本国憲法もなんもかんも
#後から作った掟なんぞ全部認めーん!ってこと?

> 〓#余談:
> 〓#権威というものは、その権威を持つものがなすと期待されている仕事に対して
> 〓#+の貢献をすれば増し、−の貢献をすれば減るものです。
> 〓#なのである分野でそれなりの権威であり続けられるということは
> 〓#その分野での彼等の判断に対する周囲の信頼を表しているといって良いでしょう。
> 〓#権威と見ればヤミクモに反発する態度は権威に対する盲従と表裏一体です。
>
> 権威が受け入れられなかった証明が、崩壊なのです。
> その逆が、繁栄なのです。

例えばDOS攻撃でサーバが崩壊するのは権威がアカンかったんや!
受け入れられんかったんや!
・・・と?

妨害ではなくちゃんと議論で権威者に意見し、その内容がまっとうなら
意見したものもまた権威(オーソリティ)になれるのではないですか?
#というかそういう評価機能がちゃんと働くようにすることが言論の場の目標というか。
go_to_trash式ではそれを「受け入れられんのじゃー」と暴れた場合は暴れたもの勝ち、
崩壊即ちダメなものですか。
ここは弱肉強食で怖いインターネッツですねwwww

> 〓> 「 fj.* は自由であって欲しい」と願ってやまないのです。
> 〓自由とはなんでしょうか?
> むずかしい言葉だと思います。

・・・というわりに

> 自由と勝手は同列ではありませんし、縛られた自由などありません。

えらくまたアッサリ断言なさいますね。・・・と思ったら

・自由は(勝手=未定義の何か)ではない
かつ
・(縛られた=未定義の性質である何か)を備えた自由は存在しない

ですか、つまりほぼ何も分かってないという表明でしたか。
なるほど、正直ですね。

> 〓私は
> 〓「根拠がない ならば 他人に指図しない」
> 〓という命題が真であるように努めるということであると考えます。
> 〓(「他人に指図する ならば 根拠はある」が真であるように努めることと同値。)
>
> ですね。私も「はげどう」です。
>
> 「根拠」があるならば、その根拠は自分に対しても対応され、
> 不変であるべきです。

「不変」というのがイキナリの飛躍で意味不明です。
なんで「不変であるべき」なんですか?

> それを「適応」とすり替えたとき、信頼は崩れます。

すり替えでもありませんし、崩れません。
何故ならそもそも最初から信頼の基礎は根拠が不変であることなどではないからです。
信頼は根拠となる知識が共有されることによって支えられています。

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