古寺です。

ぢぃ さんは書きました:
> On 11月13日, 午後9:43, Masahiko_KODERA <koder...@cool.o_dn.ne.jp> wrote:

>> 検索してみた所、下記の時点で入っていました。思ったより前です。http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/001117.html
>>
>> #『竣工年度    2004年度(変更なし)』って(^^;
> 
> はー。これは初めて見ました

RJにマメに載ってる東急の建設関連を全部見るのは前記事のように
ちょっと面倒なのでやる気も無いのですけど。これくらいはと、
ピクの東急特集を引っぱり出したら、2004年度竣工が絶望的な2004年
7月増刊(5〜6月頃刊行)でした。この号の記事では目黒線絡みの扱い
がまだ大きく、大井町〜大岡山関連と等々力、複々線区間は図入り
でしたが、梶が谷の言及が無く、完成は2007年春(^^;でした。

>> 上の所の図でもそうですね。
> 
> まあ、年月とともにいろいろ練り直して最終形に至った、とゆーところでしょか。

あの図だと、溝の口の内側線にシーサスが有って、その先本線合流す
る手前までが編成丸々収まる長さが有れば折り返し可能かなという
描き方になってますよね。上記2004年ピク増だと図が無く文章で引上
げ線2本と有ります。
要するに、引上げ線の先が車止めでなく本線に合流している形で。
折り返しと引き上げの両方に対応出来る通常の引上げ線なら、
もちろん引き上げた先は車止めで、根っこ側に本線への渡りが付く
はずですけど、これは面白いですね。
多摩川線多摩川がホーム折り返しをしていて、回送線側のシーサス
が直結軌道の準備だけで本設されませんでした(図が出た時点では
多摩川線独立後に回送線上で引き上げ追い返しっぽい配線)。この
辺から、回送線のみなら折り返しと干渉する形態でも構わないと
考えだしてたのでしょうか。

> いかにも東急らしいというか。なんか計画的なようで計画が別の方向に進む
> のが伝統芸と云うか(違うか?)。

もとの思惑を知らないのですが、奥沢って都心線計画で移転かと
勝手に思ってました。まあ考えてみれば元住吉も工事で手狭にな
るのだし、活用しなきゃどうしようもないのでしょうけど。
多段スイッチバックで奥に詰めて行くような構造をしてますが、
長編成化が無理だと思ってた。本線沿いの発着線みたいのは踏切
一つ潰して延長してましたよね。けど8連化は行けるのかな?

>>> しかし、梶が谷には以前から折り返し線が1本あるんだけど、これは活用されないのね...

>> 有りましたが、旧大井町線(溝「ノ」口どまりの)を最初に延伸

#上記の東急特集号での確認で。
#自由ヶ丘、緑ヶ丘の改称がやたら後年だったので勘違いしてま
#したが、溝の口は新規開業の「が丘」に合わせて早々に「の」
#になってたそうです。失礼しました。ややこしい。

> えーと、開業直後は確かに下り副本線がありませんでしたが、そ
> の後大井町-梶ヶ谷間の折り返し運用が3本に1本くらい入った時
> 期があって、この時に下り副本線が整備されたんじゃなかったか、

同じく東急特集号から、開業時は上下とも副本線が無く(用地の
み)、Y線は下り本線寄りの1本だけ本設し(用地2本)、折り返し
電車はY線引き上げ折り返しと有ります。配線図では2面4線を
本設した鷺沼以外の通過退避駅(になりましたね、不思議と)は
全部2線のみです。開業後1968年の上り快速運転開始までのどこ
かで退避駅整備をしたと思いますが、1970年代当初に「向ケ丘
遊園〜梶が谷」の路線バスが出来て親の知人宅帰りにモノレー
ルが使えなくなった頃(^^;、まだ非対称な退避駅だったような
気がしました。

>> #長津田までの他の退避駅も10連化の過程のどこかでいじっ
>> #てますが、
> 
> 江田と藤が丘と溝ノ口の3駅ですよね。

溝の口は渡り線に絡まない状態で10連対応(高架なのでホーム
のみを伸ばす自体に高架橋拡張が有った覚え)に出来てて、大
井町溝の口延長構想の初期にとりあえず上り交互取りのために
上り副本線から整備されましたよね。

>> 掘り込んで、頭を突っ込むように大掛かりな変更をしたように
>> 記憶してます。
>>
>> #その前は2本有りませんでしたっけ?
> 
> そうでしたっけ?そこまでの記憶がありませんが。2本を1本にしたの
> はトンネルを増やしたくなかったんでしょうかね。ホーム延伸の際に

上記の様に2線分の用地が有ったのは完全に確認出来ました。
4連時代に、日中折り返しと留置を両方やってた記憶で、実際敷設
してたと思います。

> そうそう、大井町線復活時(「田玉線」とゆー単語が生まれたとき?)に
> 上野毛-二子玉川園間に無理矢理ダブルクロスを入れましたよね。当

ギョッとしましたね、アレは。

> 時よく川原でBBQなどやるたびに列車密度とかあまり考えない儂は
> 結構あった鷺沼方への回送を見る度に、「梶ヶ谷まで運行して折り返
> しゃいーのに。溝ノ口で乗り換える人も結構いるんだから」などといら
> んこと考えてました。

で、これまた東急特集号なんですが。
二子玉川園が「銀座線規格の新玉川線が折り返す設計」で作って
しまったため作り直すはめになったし(刊行時点で丁度完了済み)、
系統変更後かなりの間、連日数十件規模の苦情が続いたという回
顧が記載されてました。
ですよねぇ...
この本が刊行されるより随分前、前世紀末くらい(内外入換え着工
に関連して?)この話題が出て、昔「50年史」を借りて読んだ記憶
では新玉川線=銀座線直通前提で二子玉川高架を作ってるって話
と、だったらあの内側線限界拡げてたんだ?な話題をしたのを記憶
してましたが。田玉系統は生まれないはずだったからこの線形で
後々ややこしくなる(上野毛〜二子玉川の場当たりなシーサス含め
て)と、計画が変わった影響をちゃんと読んだ印刷物はこれが初め
てだったりします。まあ東急関係の単行本とか、それ以前の特集
臨時増刊とか全然買ってませんでしたからね。

#金がないってのも有ったけど、近所の事は分かってる気になっ
#てたから買う気がしなかったというか...
##雑誌も同時2冊が限度だし(これは今も)なぁ....