古寺です。

SHIMADA,makoto さんは書きました:

> kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp さんは書きました:
> 
>> 人間が手で開けるのが一番贅沢なんですよー。
> 
>     なるほど。銀河英雄伝説という本に「機械を使えば
>    済むところをわざわざ人を使うのが皇帝の権威を示す」
>    とかありましたが、ロマンスカーも屈折した貴族趣味
>    だったわけですか。

最初の記事の『# 近鉄よ、特急料金を返せ〜!』からほとんどは
冗談だと思ってますけど、ここもですよね?(^^;

以下この十数年で同じようなフォローを書いたのは少なくとも
3回は有ったような気が。その内1回は冷房の話の記憶からして
間違いなく嶋田さんの記事にだったかと。
自動ドアの機構を付けなかったのは、

>> ドア要員の人たちがお茶を運んでくれる「走る喫茶室」、
> 
>     ありゃ? 私ゃまた喫茶室要員が片手間(どうせ停車
>    駅は少ないわけですし)にドアを開けているものだと
>    ばかり思ってました。

この停車駅が少ない(もとは原則拠点間無停車)上に、開け閉めする
ドアを最小限にしてその場で改札と案内をするシステムを組み合わ
せる事で自動化する必要をなくした上で、ほんとにやりたかった
「目的」は究極の張殼構造(折り戸構造なども取らず戸袋無し)と
軽量化、低重心化ですよね。
おねいさまのサービスでそこを取り繕うというか、カバーすると
いうのはアクマデ結果であって(^^;
今年出たピクトリアル誌で連接車の特集号が有りましたけど、SE車
の開発回顧な記事を読んだ記憶で、重量級SLがガンガン走ってた東
海道本線などに比べて軌道構造が脆弱な路線での高速化というのを
考えたのだそうで。昭和30年当時、どっちも木枕木で短いレールで
したでしょうけど、重量級SLが走ってた方はやはり道床厚とか違う
そうで。
国鉄が381系になる開発(591系?などでしたっけ)をするより昔に小田
急が車体傾斜の基礎研究をしたのも有名です。車体傾斜無しのSEや
構造的に延長線上のNSEでも、ダイヤ的に可能なら「本則+20km/h」
的な曲線速度向上をしたかったのではないでしょうかね。国鉄末期
に183系や485系が一部走行区間で、381系に肉薄するところまで曲
線速度を上げましたが、ああいう感じで。

と言った、開発目的を無視して、屋根が低過ぎとか窮屈とか言う
のも分からなくもないのですけどね。小田急の場合、批判的な目で
見ると「そんなことより、もっと退避駅なり複々線なりを用意して
おけ」って事になるんでしょうけど。その辺は昭和40年代以降の利
用者増加に全く追従出来ず、車両が性能の片鱗も示さず「持ち腐れ」
で終わって行ったって感じですね。
細かく見ると、いわゆる初期高性能車って大なり小なり「過剰性能
だった」ってことになる部分が多いと思うのです。昭和50年代真ん
中くらいまで、600m停止ルールは日本だけだし無くなるべきとまで
書いてる技術解説系の雑誌記事とか有ったし。
活かしきれない高加減速車とかも同様だったと思ってます。その手
のは高張力鋼板とか、軽量設計のために薄板使って短寿命だったの
が多かった気がしますが、中には冷房積むとこまで生き延びていた
り。それで重くなり、多少性能が落ちてるのにダイヤ上全く支障
がなかったりとか。

そういえば「のぞみ」撤退となるや一般メディアに「居住性が犠牲
になった」など今さら書かれてる新幹線500系。客席空間を絞るった
あげくに、それが過剰性能(N700では空間犠牲にせず追いつかれる)
とアレコレ言われるってところが、SE系と似てなくもないですかね。
SE車(SSE化の後ですが)に途中乗車しようとすると、特急券購入時
に言われた所定乗車位置のドアが内側からバゴっと空いて女性が
出てきて改札、どっちの方へ行くかご案内されて。狭く低いドアを
潜って、ドア部分から客席側がさらに一段「下がる」というところ
が特別っぽくて好きだったんですが。
「混雑する首都高をスーパーカー(大袈裟)で流す」ようなもんです
かね、あれは。

#スペシャリティカーってジャンルが有ったけど、意味が逆だ。