In article <1170086385.813410.83590@a34g2000cwb.googlegroups.com> minamishiga@hotmail.com writes:
>湖西線の建設時の経緯を書いた冊子によりますと、
>大津市の要望として当時、堅田町を併合した直後でもあり、
なるほど、その要因はウッカリしていました。
江若鉄道廃止が合併の2年後、湖西線開通が合併の7年後ですね。

>もっと北まで延びている大津市に対して
>皇子山の位置で北大津を名乗るのははばかられ、
「北大津 or 大津北」=旧堅田町という使い方はありますね。
この表現自体の定着度は低いのですが、
少なくとも「北大津」が他の地域を指すことは無いと思います。

実例:「大津北警察署」「北大津高等学校」「北大津養護学校」
(高校は仰木にあります。堅田高校と両方とも県立です。)

>「湖『西』線の『大津』」を略して西大津になったそうです。
苦しい説明にも程があるX-<

>あと、地元の要望が通ったのは「新滋賀里」→「唐崎」、
これは、元の案が悪過ぎます。

>「蓬莱」の設置があり、通らなかったのは「叡山」→「坂本」、
JR化後に「比叡山坂本」に改称するという形で通しましたね。
それにしても、何故当初「叡山」だったんでしょうね。
江若鉄道の駅でいうと、「叡山」ではなく、むしろ「日吉」駅に相当するのに。

>「雄琴」→「雄琴温泉」、
温泉街からは「徒歩連絡するには少々遠過ぎる」位置ですしね。
温泉街のド真ん中にあった元の「雄琴温泉」駅と
区別することは必須だったと思います。

>「北小松」→「小松」、
何故??
南小松とのギクシャクでもあったのかなあ?
「南小松」=「近江舞子」なんだけど、それじゃ満足できないってこと?

>「永原」→「奥琵琶湖」、
蹴って大正解です!!

>要望で無く改称したのが「箱館山」→「近江中庄」があります。
元の案がヤケクソ気味のような気も。
位置的には「箱館山麓」というには微妙に遠いし、
「箱館山口」というには谷筋からズレすぎてるし、
「箱館見」(富士見のアナロジー)でしかない^_^;

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp