どうでも良いのですが、ファンブックと一緒に買ったイメージソング
コレクション、きっついです^O^;車の中でも聞けません。ウチのDEMIOは遮音が
まるで甘いので少なくとも私はこれを街中でかけながら運転なんて出来ない
です。
 、、、勢いで買うのは止めた方が良かったのかも知れない^_^;、、、

        今日は、木津です。

Miyakoshi Kazufumi wrote:
> 私の書いた「あの最後」というのは、第12話のラスト15秒の事ですよ?

 勿論、そうでなければ「あのね商法」で話が繋がるはずはないと思うんです
が^^;

> 「あの最後」が無くても、やす菜がいなくなってしまう事にはならないと思うの
> ですが。その前までの描写で、少なくともやす菜がおばあちゃんの所に行く事は
> 中止になって、はずむや、とまり達とも仲良くやっていけるようになった、とい
> う事は示されています。これをもって、「結末は放送分でそれなりに入ってます」
> とは言えるだろう、と思います。

 いいえ、まずそれはありませんね。なぜなら、やす菜が「行かなくちゃ
ならなかった理由」が分からないままだからです。最終回を見る前までは本当に
病気療養とか位しか理由が思いつかなかった訳です。
 ところがやす菜の荷物のまとめ方や一家で引っ越すという選択肢が取られない
事等から、どうもその線はないようだと思えるのです。勿論、両親が仕事優先
とか言う事もあり得なくはないんですが、母親だけでも一緒に行くとか出来ます
し、母親の演技だってもう少し違った感じになると思うんですよね。
 そして最後に、少し沈んだようなやす菜が、だけどはっきりと希望を持った
声で「あのね」、そしてはずむがはっきりと明るい声で「あのね」。ここまで
来て、「あのね」に続く言葉が何であるか具体的に想像するのは難しいのです
が、かと言ってどんな種類の話なのかを想像するのは容易い事です。

 又、何故「夏休み中にいなくなる」のか、と言う事も考えました。夏休み中
ならクラスの人にわざわざ理由を説明することなくいなくなれる訳です。病気が
理由ならわざわざ自分から説明する必要はないでしょう。というか、もっと
早くいなくなって良かったし、11話で両親がはずむに会わせる事もなかった。
 もしかするとはずむは最終回冒頭の時点で既にやす菜が行ってしまう理由を
知っていたのではないか、とも思えます。「もう夏も終わり」というのは口調
から言ってもやす菜が行ってしまうから、なのかもしれません。
 延期の理由は「友達がいれば元々そうしていた予定」の時期にしたというだけ
の事で。

 それで「結末は放送分でそれなりに入ってます」と書きました。又、だから
どうしても「あのね」は必要なんです。

> ですが、その直後のやす菜の「あのね」から、最後のはずむの「あのね」までの
> 間(あるいは更にその後まで)にまだ何かある、って事なんじゃないか、と私は
> 解釈したのですが。だから、「まだ全部は終わっていない」と書きました。

 勿論その線もあるんですが、今まで12話で5ヶ月です。今まで割と丁寧に作り
続けてきていた制作陣が急にさらなる展開を持ち出す必要が無さそうに思え
ます。たったの30分を後半年で作れば良いんですから、今から全く話を作り
始めても良い訳です。
 又、急にフルートの話を持ち出す唐突さについても、今までの感じを
ぶち壊したくなかったから省いた、という理由が出てきそうです。

> その「追加編」が、物語にとって特に必要なものでなければ、「あの最後」も必
> 要無かったと思うんですよね。それをわざわざ、あのような、脈絡が無いとも見
> えるような形で挿入されているという事は、その「追加編」が物語にとっては必
> 要である、という事を示しているのではないか、と。

 で、もし制作陣が全く違う話を考えていて、今から話を例えばフルートの勉強
の為、に変えたとしても全然差し障りが無く出来上がるし、話を全部青春のお話
で埋め尽くせる訳です。何の差し障りもなく、ね。
 今までここまで作り込んできた人達が、急にそれを覆す理由が思いつかない
んです。又、まさかその人達に先んじて私がそういう事を考える、というのも
あまりありそうにないし。

> もちろん、これは私がそう考えているだけで、少なくとも木津さんはそうは考え
> ておられないようですし、実際どうなのかは第13話を観ない事には判断できない
> と思います。

 あえて言えば、むしろそれが判断出来ない人はわざわざ最終巻を買ったり借り
たりする事なんてないと思います。
 時間が勿体ないから。

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        木津健介