・ナゾカケロシン(8)

13.姫ちゃん
廊下に抜けると、黄色い回転灯が1ブロックごとに点灯している。
人気は全然ない。
「あとはここをまっすぐ行くとボス戦だから
 そんじゃ、あたしはこれで、ばい」
エア・スピリッツはそう言い残すと、もと来た道を戻ろうとする。
「えっ、どこいっちゃうの」
「だから、あたしの任務はここまで
 任務終了
 エア・スピリッツ
 ただ今より帰還いたしますです」
びしっと敬礼して帰ろうとする。おいおい、最後までつきあえよ。
尚も、ぼくはエア・スピリッツのモップの柄を掴み離さない。(実は
彼女はなんの変哲もないタダのモップをまだ持っていた。)
頭をぽりぽりかきながら、彼女はウエスト・ポーチの中からテレビの
キャッシュカード大のコマンダのようなものを取り出した。
「しょうがないなぁ
 それじゃ、
 ファイア・バードのアバターを置いといてあげるね」
それは困る。タダでさえキャラが埋没しがち、もう誰もぼくが主人公
だなんて思わないくらいなのに、あんなラスベガスのネオンみたいな
ものがそばに置かれたのではホントに主役を降ろされてしまう。
「もっと目立たない、
 そう、ぼくのキャラがかすんじゃうことのない
 べつのものはないの」
「うーん
 じゃ、少女ファイア・バードというのはどう?
 背丈もこんくらいで
 あんたの後をちょこちょこ
 ついて歩くかんじィ?」
そんなもの役にたつんかよ。
エア・スピリッツはその少女バージョンのファイア・バードというも
のの大体の寸法を手振りで示して同意を求めるようにぼくを見た。
ぼくが首肯する様子を見せないでいると、もう面倒くさいのかそっぽ
を向いて勝手にコマンダを操作しはじめた。
「うーん、こんな感じかな」
ぱちぱちとエア・スピリッツがコマンダのボタンを押すと、ぼくとの
間の空間がゆがむような感じがして小さな女の子輪郭がトコロテンの
ように空間から押し出されてきた。はじめは空気が陽炎で歪んだ程度
のものが、光の屈折率がぐんぐんと増すにしたがい、それは色彩を帯
びてきて3分もしないうちに実体化した。
「うわっぁ、間近でみるとエグイものだな」
率直な感想のぼくをエア・スピリッツはじろりとにらみつけ、実体化
した少女の細部を確認する。
「そうね
 小さいファイア・バードだから
 姫ファイアね
 『姫ちゃん』とでも呼んであげたら」
そんじゃ、この少女はぼくのことを『師匠』とでも呼ぶのだろうか。
「それじゃ、姫ちゃん
 このさびしがりやのおじさん
 スプリング・ハンターさんをよろしくね」
エア・スピリッツはしゃがむと『姫ちゃん』の肩に手を置き、ぼくを
視線を置いているくせに、『姫ちゃん』にだけ話しかける。
エア・スピリッツ目はいたずらするように笑っている。
「わかったですよ
 姫ちゃんにまかせるですよ」
『姫ちゃん』はノリノリだ。
エア・スピリッツは、ぼくは無視で『姫ちゃん』にだけ挨拶の手を振
ると、『姫ちゃん』の小さな手のバイバイに見送られて廊下の彼方に
姿を消した。
逃げ足だけは早い。
『姫ちゃん』は100そこそこの身長で、小さいながらもファイア・
バードのトレードマーク、真紅のチャイナドレスを着ている。頭には
おそろいのシニョンをつけて髪をまとめている。
「えーと」
「『姫ちゃん』って呼ぶですよ
 姫ちゃんは師匠のことを『師匠』って呼ぶです」
「じゃあ、姫ちゃん
 この先にラスボスがいるわけ?」
「ですです。
 この先はこの研究所の制御室があるです。
 船で言えばブリッジがあるですよ。
 姫ちゃんここのシステムに繋がるファイア・ウェア機器ファーム・
 ウェアを統合することで実体化しているのです。
 姫ちゃん居ながらにして研究所全体俯瞰ができるです。
 師匠は大船に乗って京浜東北線です」
そういうと姫ちゃんはちょこちょこと先に走り出す。ぼくのあとから
目立たなくついてくるんのではなかったのかい、話がちがうというか
意味がわからん。

ぼくは『姫ちゃん』の後を追う。『姫ちゃん』は駆け足だけど、ぼく
の歩幅は普通に歩くくらい、ふたりは廊下をどうどうと進んでいる。
その割に、誰にも会わない。
見つかりたくないのでそれはそれで好都合なのだが、こうも見事に誰
もいないと不安になる。
「ねえ姫ちゃん、誰も迎い討ちにでてこないね」
「師匠は心配ですか?」
「姫ちゃんは平気なの」
「今は緊急態勢《レッド》ですから
 みなさんは早々に退避していて誰もいないですよ」
「それじゃ、ラスボスも逃げちゃったのじゃないの」
そんな全員退去した場所に何時までもいてもしかたないじゃん。
「安心するですよ
 ラスボスさんは
 師匠を待っていてくださるですよ」
「ラスボスって誰なの」
「師匠のよく知っている人です。
 だから師匠急ぐですよ」
姫ちゃんは次々と扉を開けてどんどん奥に走っていく、まあ、ドアの
セキュリティなどシステムに直結している姫ちゃんにとってはなんの
障害にもならないのは判るが、これではウラテクで敵をなぎ倒しては
どんどん進むゲームのようで味気がないことおびただしい。
それでも、いかにもソレと判るひときわ大きな扉を抜けるとスケート
リンクほどの広さの空間にでた。
スケートリンクの半円中央にコンソールがあり男がひとり黒革のハイ
バックチェアに腰掛けてぼくを待ち受けていた。
「師匠、『人類最低』さんが『人類最悪』をお待ちですよ」
まて姫ちゃん、勝手にぼくに変なキャッチコピーをつけるな。
ぼくたちの姿を認めると、男は椅子から立ち上がった。男の背景にあ
る三面で構成されるスタジアム・スクリーンに男の顔がアップで映る。
男はめがねのブリッジをクイと指先で押し上げると100メートルは
離れているぼくを眇めるようにして見た。
「まっていたぞ、《俺の敵》」

14.代替現代化《モダン・オルタネティブ》
ぼくたちの入ってきた入り口は楕円形スケート・リンクの丁度反対側
らしく、ぼくたちの背景にある三面スタジアム・スクリーンはぼくと
姫ちゃんを大きく映し出している。
ぼくはこの男を知っている。別に今まで敵味方の関係ではなかったが、
それでもよく知っている、世界毒男代表選でぼくに僅差で敗れて以来
彼はぼくのことを勝手に《好敵手》に仕立てては、《俺の敵》と呼ん
で悦に入っているヘンタイだ。
関わりたくない人トップ10の堂々3位入賞、副賞500円だ。
「めずらしい顔だ
 ここではなんと名乗っているのかな」
姫ちゃんはやつの毒気にあてられてさっさとぼくの後ろに隠れた。
「プロフェッサー・レオだ」
「ほう、いつ教授職になったのかな」
「ははははっ
 さすが、うまいこと突っ込むな《俺の敵》
 これは所謂通り名ってやつだ。
 でも、このプロジェクトが成功した暁には
 3つの Ph.D が貰える。北大の総長職も入る」
奴の笑いは乾いている。ぼくのせいでその3つのドクター称号と総長
職も風前の灯だからだ。
「いったい、この研究所のみょうちきりんな仕掛けはなんなんだ」
「まあ、お互いハッカーとして大きな看板背負っている者同士
 ここはゆっくり話し合おうじゃないか。
 それを説明するために用意をして待っていたんだ《俺の敵》」
「なんでもいいけど
 その《俺の敵》ってのを止めてくれないかな」
プロフェッサー・レオは意外だといわんばかりに大げさな身振りをす
るとおどけたような顔でぼくにたずねる。
「じゃあ西東と呼ぼうか?
 西東天(さいとうのぼる)くん」
「スプリング・ハンターだ」
ぼくは声を荒げた。
「なにぃ、《スプリング・ハンター》だぁ
 なんだ温泉場を狩歩くので
 温泉《スプリング》ー狩《ハンター》かい
 なんてセンスのないネーミングじゃないか、やれやれだぜ
 まだ北と南で《ほくなん》の方がラーメン屋みたいでいい」
奴の身振り手振りはやたら大きい、新劇の俳優が人情芝居を演じてい
るみたいで、奴の目線もカメラ目線だ。それが大スクリーンにご丁寧
に映し出される。
「順を追って説明しよう
 ほ、じゃないえ〜と、スプリング・ハンターくん。
 そもそも我々のインターネットの本性とは何だと思う?
 世間では電子政府とか災害対策とか役にたつと騒がれているが
 その割にはセキュリティ管理の面では綻びだらけで
 対策と問題とのイタチごっこが際限ない
 インターネットは情報の国際化を牽引して
 経済のグローバリゼーションの流れの旗手のように
 持ち上げられてはいるが
 さて、こいつの本性はなんなんだろうか」
「インターネットはメディア(媒体)でしかないのだから
 そのメディア(媒体)がその伝達する情報の属性によって
 赤色になったり緑になったりすることがあっても
 その本性は《透明》に決まっているじゃないか」
ぼくは即答した。しかし奴は人指し指を立てて『チッチッチッ』と
大きく振りかぶる。
「まあ、60点ってところか」
でも単位はとれるだろう。
「M・A・Dが何の略か知っているだろう」
「相互確証破壊のことを言っているのか」
相互確証破壊、スタンリー・キューブリックのストレンジ・ラブ博士
の映画や映画『 FAILSAFE 』でおなじみのアレだ。対立陣営のどっち
が攻撃を掛けても相打ちになるので攻撃抑止になるという、ことわざ
でいえば三竦み戦法、インターネットの基本技術はどの拠点を破壊さ
れても報復攻撃を出せるように分散化されたネットワーク構造のシス
テムとして米国国防総省高等研究計画局(DARPA)の予算で開発された。
「そうだ、相互確証破壊(Mutual Assured Destruction )
 インターネットはこの理論を実装するために作られた。
 誰かを監視して、どこを破壊されても必ず報復するという
 究極の足の引っ張り合いのために作られた技術だ」
身も蓋もない説明だ。
「つまり、インターネットの本質は《足の引っ張り合い》なんだよ。
 意味もなく監視をして互いになにもしないことを監視する時に最大
 効果が期待できる。そして同時に参加するすべてのものをそのくだ
 らない《揚げ足取り》競争に巻き込むスキームを造りだすのだ。
 それが国際的に広がりつつある経済のグローバリゼーションであり
 その政治的な基盤造りであるネオ・リベラリズムなのだ。
 俺の作った技術によって構築される社会はこれに対抗するアルター・
 グルーバリゼーション
 俺はこれをデリタの言葉に倣って
 代替現代化《モダン・オルタネティブ》と呼んでいる」
うーむ、なんか日経新聞の社説みたいになってきた。
「師匠、姫ちゃんは言葉に迷うで謎ですから
 ひとりでがんばるですよ
 姫ちゃんは夢のなかから応援しているです」
ぼくの袖をつかんで姫ちゃんはそう告げるとその場の椅子に腰掛けて
眼を閉じてしまった。姫ちゃん待ってくれ、ぼくを置き去りにしない
でくれ。
「そうだ、《俺の敵》
 おまえも同じハッカーならばこれがわかるだろう
 一緒に代替現代化《モダン・オルタネティブ》を構築しようぜ
 俺はオマエを説得して仲間にするためにこうして待っていたんだ」


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のりたま@もう覚悟した