ナゾカケロシン(5)
・ナゾカケロシン(4)
6.ネーム・オブ・ゲーム
化粧を直そうとして席を立って、洗面所に入ったところまでは覚えて
いる、しかし、そのあとどうなったのか記憶がない、ぼーとする頭の
ままで辺りを見回すと険しい岩山のなかに、噴煙なのか温泉の湯気な
のか白煙がいたるところで立ち上っている。
身体は金縛りにあったときのように重い、両腕はなにかを持っている
ようだがやたら重量感のある、でもそんなものには心当たりがない。
「ぎゃーおーす」
背後で、できそこないの怪獣の雄たけびみたいな声がして背筋に悪寒
がはしった、反射的に振り向く竜が自分めがけて、いまにも飛びかか
ろうと身構えている。
へんな夢ね、何時の間にわたしは寝てしまったのかしら、ついさっき
まで仕事をしていたはずなのに、疲れたのかしら、と彼女は至極のん
びりとした感想をもった。次の瞬間ひゅんという風きり音がして彼女
の身体は不自然な方向にしなったと思ったら、宙に浮き上がり岩盤に
したたかに叩きつけられた。竜のシッポが彼女の横腹を直撃して突き
飛ばしたのだ。彼女は仰け反り身に着けていたもの(どうも鎧のよう
なものを身に着けていたらしいが)はブリキのバケツが転がるような
ガランガランといった騒がしい音をたててどこかにふっとんだ。
彼女は背中を岩に打ったのか痛くて身動きができない、ここに至って
ようやく彼女は「夢にしては痛すぎる」ということに気がついた。
「スメラギの女スパイにしてはあっけないな
はやく自分の置かれた状況を理解しないと死んじゃうぞ」と、
さっきの竜が喋った。竜の割りに普通の声だと彼女は思った。
「素性がばれた以上危険は覚悟の上だろうが
一応説明してやろう
こっちとしても少しは逃げ回るなり
抵抗してもらわないとなぶり殺しにする甲斐ってものがない」
竜は分別臭く腕組みをして彼女を見下ろした、竜の体長は平均的成人
男性(なんだよその平均的なっていうのは2メートルとかはっきり言
えよ)の約3倍ほど、痛そうなぎざぎざの付きのシッポの長さをあわ
せると、優に10メートルくらいだろうか、全身はオリーブドラブの
硬いウロコに覆われていて眼光は金色に輝いている。
「ここはゲームの仮想空間の中だ。
オマエは我々に素性を知られて捕まり
ここに引きずりこまれたのだ。
しかし、仮想空間といえども此処での死は
現実世界での死でもある
だから、せいぜい逃げ回って抵抗するがいい」
竜は余り説明が得意ではないようだ(きっと人前で喋るのが不得手な
んだろう、壇上に上がった途端に赤面するタイプに違いない)彼女は
痛む身体を起こすとそばに転がっていた剣を握った。
「私はこうゆうバトル・ゲームは苦手なんだけど
ゲームの種類を変えてもらうことはできないかしら」
剣を杖にようやく立ち上がると、彼女は竜に話しかけた(もちろん、
竜がおっけーするなんてことなど考えているわけではない、とにかく
話を長引かせて時間を稼ぐのが目的である)
「ぎゃーおーす」
クレーン車の腕みたいな竜のシッポが風きり音とともに襲ってきた、
今度はうまく身をかわすことができた。
彼女は身をひねらすと竜のシッポの根元に向かって走りこんだ。でも
こんどは竜の顎が彼女を後ろから襲って跳ね飛ばした、彼女は「あっ
ん」と声をもらして水溜りに転がり落ちた。
水もつめたい、どうなっているのか判らないが時間を稼ぐ必要がある、
定時連絡が途絶えたことを察知したファイアバードが行動を起こして
くれるのを待たなければならない。とにかく、逃げ回らなければ、と
彼女は思った。
一方この様子を大画面プロジェクタで優雅に観賞している連中がいた。
そう、あのプロフェッサー・レオである。
「プロフェッサー、やっぱり女戦士はいいですね
ぼこぼこにやられるのにも華がありまります。
萌え萌えですよこれは」と、そばで一緒に画面を見てた部下の一人
がのんきな感想を述べる。画面の中では劣勢の女戦士は鎧も剥ぎ取ら
れ、薄絹の下着だけで逃げ回っている。竜の攻撃が決まって女戦士が
うめき声を上げるたびに一同は「おおっ」とばかりに固唾を呑んで魅
入っている。
「これだけ大画面で観賞していると
ちょっと画像のアラが目立ってしまうのが難点ですね」と、これま
た余計な感想を言い出す部下もいる。
「うん、たしかに肌の色合いとか中途半端だよな
でもこの画像は視界深度を確保するため
HDRで構成されているんで、処理スピードとシステムの負荷から
考えても今の技術ではコレが限界なんですよ
もっと予算があればいいんですけどねぇ」と、この物語とは全然関
係ない説明をしだす野郎もいやがる。そんな中で黙ってこのやり取り
に耳を傾けているプロフェッサー・レオはこころのなかでは『うひょ
ひょ、かわいい女の子をなぶりものしちゃっているよ、これで彼女を
殺しちゃったらオレってちょー悪役じゃん』といけない妄想に耽って
いるのだった。
そのとき突然、画面が消え照明が点滅した。プロフェッサー・レオは
席からすっくと立ち上がった。入り口の扉が開いて部下の一人が転が
り込んできた。
「プロフェッサー・レオ
カリフォルニアで大地震が発生した模様です
当研究所はただ今非常用自家発電の電源に切り替わりました。
地震波の衝撃に備えるために第3次緊急体勢に入ります。
システムの稼動は最小限に抑えてください」
まあ、震災とあれば仕方がない処置であるが、さてこのゲームはどう
しようかと部下たちは顔を見合わせた。しかし、至福の妄想を邪魔さ
れたプロフェッサー・レオは少し不機嫌そうにこれに宣言した。
「大丈夫だ、この研究所は震度8でも揺れることすらないように設計
されている(なんせ、オレが設計したんだまちがいない)
このままゲームは続行だ
サーパント・システムの稼動に必要な資源は優先的に確保しる!」
プロフェッサー・レオの大英断に部下たちの尊敬の眼差しが集まった。
そのときゲームの画面では異変が起こっていた。
女戦士が地面を(ちょうど猫が枕元にきて枕の具合を確かめるような
感じで)ふみふみすると、場違いなシステム・コンソールが浮かび上
がってきた。女戦士はなにかの操作をすると画面は女戦士以外すべて
の動きが止まってしまった。竜は雄たけびを上げる姿勢で右足をあげ
たまま不自然な格好で停まっている、岩場の裂け目から噴出していた
白煙すら綿菓子のように止まった。そして画面は消えてしまった。
7.ジュエル・エッグ
「どうやら決着は付いたみたいよ」
黒づくめの女は制御室の画面を見ながら言った。
「『ジュエル・エッグ』はね
戦略的に作られた仮想マシーンなのよ
つまり、彼女はその仮想マシーンを自在の操るハッカーなの
CMUの『ジュエル・エッグ』っていったら有名なんだけどな
あんた知らないなんてモグリなんじゃないの」
また、この女の講釈が始まった。
「でも、これだけのシステムを動かす仮想マシーンを
こんな短期間に構築してしまうなんて
やっぱり彼女天才ね」
「仮想マシーンってコンピュータ・ウイルスみたいなものなのか」
ぼくは言ってから馬鹿な質問をしたと後悔した。女のぼくを見る目が
軽蔑に変わっているのがありありとわかる。
「コンピュータ・ウイルスはコンピュータの上にあるOSに
寄生するだけの存在じゃない
『ジュエル・エッグ』はOSを自分が構成した仮想マシーンの上に
すっぽり乗せ変えてOSそのものを自在に操作できるものなの
攻撃的なハニーポッドみたいなものと考えてもいいわ
なにしろ、これはDARPAが潜在敵国のシステムを乗取って
相手の攻撃・防御両方を無効化するために作られたものなんだから」
ぼくは「ハニーポッドってなに」という質問を飲み込んだ。
画面に映るサーパント・ドーム(まあ、そんな名称が適当だろうと、
ぼくは考えた)の照明は消えて非常灯のような小さなライトだけが光っ
ている、プラネタリュウムの投影機みたいな機械も動きが止まった、
助けるなら今しかないとぼくは決断した。
ぼくの決心を察したのか女はダストシュートの口みたいな扉を差して
指示した。
「中に入ったら他のことはどうでもいいから
彼女をあの機械から引っぺがしてつれてきなさい
多分、彼女はショック状態だから
体温を確保して安静に出来るところに移さないと
命は取り留めても、意識を回復させることができないわよ」
ぼくは黙って頷くと、ダストシュートに飛び込んだ、ダストシュート
は狭いわけではないが人一人が通ることがやっとの広さで、防音のた
めかごわごわしたゴム状の素材で作られていてぶよぶよ歩きにくい。
やっとのことで、ドームに抜けるとぼくはジュエルに駆け寄った。
「ジュエル、ジュエル、ジュエル」
ぼくはジュエルの名前(いや、本名はしらないのだ)を何度も叫びな
がらジュエルの身体を機械に縛り付けている拘束具を外した。
「ジュエル?」ジュエルの顔を掴んで覗き込むと、あの端正な顔はだ
らしなくゆがみ瞳孔は開ききっていて焦点が合わない、幾ら呼んでも
埒が開かない。
ぼくはジュエルの力を失った両腕を自分の頚に巻きつけると、ジュエ
ルを抱え込んでダストシュートの入り口に向かった。
すると、ダストシュートの入り口には女が入ってきていた。
「こっちはダメ、
だれかが異変に気がついてやってきたわ
その機械の基底部にメンテナンス用の作業口があるから
そこから脱出しましょう
わたしについてきて」
イヤも応もない、敵か見方か未だに判明していないが、いまは彼女に
従うしかない、すくなくとも彼女はぼくよりはここのことに詳しそう
だし、ぼくはジュエルが心配で仕方がない。女は作業口を開けると、
するりと中に入って、なかから「こっちこっち」とぼくを呼ぶ。
ぼくは身体にべったりと張り付いたずぶぬれのレインコートみたいな
ジュエルの身体の感触に、いまこんなことを喜んでいる場合じゃない
んだけどなとちょっと後ろめたさを感じながら、助かってくれとあら
ん限りの願いをこめてジュエルの身体を抱きしめた。
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のりたま@ではまた来週
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