Re: 「正当性」を語る目的とは Re: 解散の正当性に関する素朴な疑問
太宰 真 wrote:
> 合法=正当
>
> としての「合法」もしくは「正当」を問題にすればよいことであって、合法=正
> 当に満たない「正当」などを語る実益はさらさらない。なぜならば、各個人が、
> 合法=正当を語ったにせよ、総体としての国民には合法=正当とは響かない場合
> が殆どだからであります。
その通りですね。別の表現をすれば、
「合法」の内部においても既に種々の価値観による
種々の見解があり、より妥当でないもしくはより
妥当であるということが言える
のであって、裁判所の見解はそのひとつに過ぎない。ただ裁判所の見解は公権的
であという点で他と異なるのみ。公権的であるということがそうでない場合と何
処が違うかといえば、安井氏が最初から関心を持っていた国家の強制力=公権力
を使えるということ。しかし、このことと法の意味の認識とは別問題である。安
井氏はもしかしたらかれこれ混同しているのかもしれない。未熟なり。
二つの正当性について。すなわち、「法としての正当性」と安井氏の言う「政治
もしくは道義的(?)正当性」との違い。この点でまずはっきりさせなければな
らないことはこの二つの正当性には「質的」な差は無いということ。現に安井氏
の論述にはこの「質」の違いを指摘し得た箇所は一箇所も無い。このことからひ
とつの結論が導かれる。すなわち、
「合法性」か「正当性」か、というような問題の立て方
が既に間違っている。
このことを前提にすれば、確かに「観念的には」、政治的・道義的正当性にも程
度の違いが在って、その一部が裁判所の手を借りても正さなければならず、それ
以外は国民あるいは担当機関の学習に負うとするものがあり得よう。これを「合
法」=「正当」に満たない正当性すなわち「事実的正当性」と呼ぼう。
では、この「事実的正当性」は実際にはどうやって認識すればよろしいのであ
ろうか。法的アプローチからは簡単なこと。「合法的でない」こと、すなわち
「法的に正当でないこと」に他ならない。では安井氏の言う何かわけの分から
ないアプローチからはどうか。最初からいきなり「事実的正当性」の問題と決
めてかかるしかない。 私見によれば、安井氏が今少し賢明であれば、結局は
如何なる立場からのアプローチであろうと「事実的正当性」 は同じことを論ず
ることなる。すなわち、
「合法」としての正当性に満たない場合もあり、「正当性」
が合法性に高まる場合もある、
結局は、政治論は基準を持たない故に、「法的正当性」を語ることになる。単に
「事実的正当性の問題」かどうかはその結果でしかない。
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太宰 真@URAWA
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