太宰 真 wrote:

> 安井氏が問題なのは、
> 
>   (1)小泉内閣の今回の衆議院解散を、「法律に違反していないという
>      点で解散は合法である」と言い放ち、
> 他方で、
> 
>   (2)「郵政民営化法案の可決という形で内閣への政治的支持を表明し  
>      た衆議院を解散するのは政治的・道義的に批判され得る」
> 
> と表現されている点なのです。やや詳しく申し上げれば、
> 
>   (ア)今回の衆議院解散をどれだけの周到な考えの下「合法」だと言い
>      放ったのか、言い換えると、もし突き詰めての「合法か否か」の
>      考究に怠りがなかったならば、氏の言う「正当性」の問題と同値
>      に帰着するのではないか、
>   (イ)内閣への政治的支持を表明した衆議院を解散を、憲法の趣旨を緻
>      密に論うことなく、恰も自明であるかのように「政治的・道義的
>      に批判され得る」としてしまったことが却って悪影響し、安易な
>      考えに流れ、偶々「合法性」とリンクしない結論になっただけで
>      はないのか、
>   (ウ)アプリオリに、「政治的・道義的」な批判に止まり、それ以上の
>      批判にはなりえない、と言い張るのみでは、問いを以って問いに
>      答えるのと同然の過ちを犯すことにはならないのか、

(ウ)について。法的なものとしての批判なのか、「政治的・道徳的」な批判に
過ぎないのかは、結局のところ、裁判所に訴えてまで改善を求めるほどのものと
考えるか否かに尽き、それは見るものによって異なるものだ、とする趣旨である
ところまでは「ことばとして」分かる。しかし、その「政治的・道義的」批判を
加えられるに過ぎない程度だとするためには安井氏個人の全くの主観に於いても
それを超えた法的批判に晒す程度のものか否かの判断が先にあるはずであって、
如何なる理由からそれが法的批判に値しないのかが詳らかにされなければならな
い。それ無しに、ただ「政治的・道義的」批判に値するのみ、と言うだけでは問
いを以って問いに答える愚行を犯すことになる。

安井氏はまた突如として「政治的・道義的」批判を言いつつ、その程度の批判で
済ます意義を語ろうとする。すなわち、「選挙・請願・集会・言論活動などに
よって」内閣の「不当性」を正すと。しかし何と的外れな意見ではないか。人が
どのような手段で不当性を正すかによって、<何故正さなければならないのか>
の御自身の「認識」が影響されるはずのものではないからであります。今はその
「認識」が問題となっている。すなわち、内閣によって為されたへんちくりん解
散が、それぞれの行動によって正されなければならないのは何故かと言う「認
識」に他ならない。これをここでは「悪性」と表現するならば、その「悪性」が
それを正そうとする手段をどれにするかによって「悪性」が「善性」になったり
「善性」が「悪性」になったりとめまぐるしく変化すると考えるようなことは馬
鹿げたことではありますまいか。

さらに、安井氏は「合法」と「正当性」とは明確に峻別できるとする立場で論じ
られた。しかし、氏の話によると、内閣の行動の「悪性」の実体とは別に、その
悪性を正す手段的材料としていかなるものが挙げられるかによって、「正当性」
からの批判か「合法性」からの批判かが連動するとされる。これは奇妙なことで
はありますまいか。正す手段にどれだけの材料があるかというようなことは畢竟
するに「程度問題」であって、

     程度問題であるということは「合法」と「正当」の峻別
     など不可能であることを意味する

かくして、脱兎のごとく出発した当方への嫌味は実は自らへの嫌味であって、自
らの思慮の浅さを露呈したばかりでなく、他人の「正当性」という衣を拝借した
に過ぎないという失態を演じる羽目になったことが明らかになった。

最後に、話の趣旨を変えて一言。安井氏が政治や法を考える場合、そしてひとつ
の「認識」を持つ場合、その「認識」は他人=国民は如何なる認識を持つことに
なるか、を考えることは無用。安井氏は安井氏のみの「認識」を語り、A氏はA
氏のみの「認識」を語り、B氏はB氏のみの「認識」を語る。国民の「認識」は
結局はその「合力」で必然的に決まってゆくものだから余計なことはしなくてよ
いのです。また、政治の目的あるいは政治を論ずる目的は現実に「よりよき政
治」を目指すことであって、ましてや占い屋達が占いを「当てる」ことを競うも
のなどでは決してない。この観点からしても、各個人は、

            合法=正当

としての「合法」もしくは「正当」を問題にすればよいことであって、合法=正
当に満たない「正当」などを語る実益はさらさらない。なぜならば、各個人が、
合法=正当を語ったにせよ、総体としての国民には合法=正当とは響かない場合
が殆どだからであります。

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太宰 真@URAWAedr4s