"Woods War" <uzawas@hotmail.com> wrote in message news:dd570i$jtk$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp...
> 
> "Taku" <tuc@softhome.net> wrote in message 
> news:050807184700.M0100756@myhost.softhome.net...
>>>戦術研究,装備が間に合わなかったという面もあったでしょうが、
>>>それはどの国も同じでしょう。
>>>実際には、日本海軍はいきなり航空兵力を中心に戦っていて、
>>>世界の最先端であった考えます。
>> 真珠湾のことを言われているとしたのであれば,先方としての
>> 航空母艦の用兵思想の具体化ではないでしょうか。
> 
> 具体化としては、第1航空艦隊の編成こそが革命であったのでは。
> それまでの、空母1〜2隻の航空戦隊が主力艦隊に随伴する形態から

ということは飽くまでも航空戦隊は二次的な存在だったということですか?

> ありったけの空母を集中して別働隊としての運用への変化が、最先端の
> 用兵思想であったのでしょう。

こういう場合それらを守る更なる脇役の存在や形態もそうでない場合とは
異なってくるはずですが、どのような変化があったのでしょう?
 
> とはいっても、機動部隊と呼ばれるように、主力艦隊に対する別働隊
> 建前上は脇役であったと考えられます。
> #帰趨を決するのは脇役で、主役が登場するのは、止めを刺す時か
> 刺されるときなのですが。

これは実際であったにせよ、兵力の劣る大日本帝国がこのまま疑問も抱か
ずに、脇役が大勢を決する役割のままにしておいたところに「形に縛られる」
悪弊が出たとは言えまいか?

>> ミッドウェー海戦でも長門を旗艦とする戦艦部隊が後衞していたのでは。
> 
> この時点では連合艦隊旗艦は大和です。山本長官が座乗し、第1艦隊
> (主力艦隊)を率いてミッドウェィ攻略に参加したはずです。
> #第1艦隊は文字どおり参加しただけで、戦ってはいませんが。

何故このような布陣を敷いたのでしょう。謎がますます沸いてきますね。第二
陣はミッドウェー島攻略にあったということでしょうか?しかし、ミッドウェー島
攻略するにしても、第一陣が敗退すればそれはなくなるのであって、山本五
十六大将こそが遅れた感覚でいたとしか思えない。第一陣は山本五十六
氏が担うべきであった。こうしなかったところに、すでに負けの要素が有った
ような気がする。

> 
> なお、先鋒の第1航空艦隊には、巡洋戦艦2隻、重巡洋艦2隻が、護衛戦隊
> として随伴しています。
> 
>> レイテ沖海戦でも同じです。
>> マリアナ海戦はあまり詳しくありません。
> 
> これらの戦艦、巡洋艦を空母の護衛につけた航空艦隊を常設する、というのが
> 日本が開発した新機軸だったはず。

でも、そうなりますと、「戦艦」の存在意義はう〜んと後退はしませんか?

> 米国の空母機動部隊(タスクフォース)は、水雷戦隊しか伴わなかったはず。

「水雷戦隊」というのは駆逐艦隊のことですか?でも、それが「空母」の役割と使
い方を正しく知ったものの採る方法でしょう。
 
> 
>> ミッドウェーで,航空母艦を中心とする攻撃部隊を編成して戦ったとは
>> 思えません。
> 
> 米側は空母機動部隊しか参加できなかった(主力艦隊は再建中)。
> 
> 日本側は主力艦隊を含む連合艦隊総力をつぎ込んだが、先鋒の航空艦隊が
> 全滅した時点で勝ち目なしと踏んで撤退したということでしょう。

わたくしは、ここでも、大日本帝国には「目的」を最優先してそこから「形」などい
かようにも変わるとする思考力の不足を見て取るのです。もし、「目的」最優先
で、この場合の「目的」をミッドウェー島の攻略においていたのならば、先遣隊が
こけたくらいで本陣が引き返すような作戦は取れないはず。逆に、第一陣の空
母決戦で勝つか負けるか、それで本陣が引き返すか否かが決まるというのであ
れば、この出陣の「目的」をミッドウェー攻略に置くべきではない。端的に「目的」
を空母撃滅に置くべきなのです。わたくしに言わしむればこのミッドウェー海戦
は正体不明な戦いであった。

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太宰 真@URAWA