Great Sugawara wrote:
> wackyさんの<428a76a2$0$974$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>から
> 
>>Great Sugawaraさんの<1Xnie.74487$NC6.62261@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>から
>>
>>>>「法」はアプリオリに存在するものではありませんので、それによって規定さ
>>>>れる「人権」が「アプリオリに存在する人権」でないのは当然でしょう。
>>>
>>>君の法って、どういうものなの?

「こうあるべきだ」とする所謂「当為」ですね。この当為は「事実」とは背反す
る事が多い。むしろ、「背反」することが多い点にこそ存在意義があるというべ
きであって、事実と同じならば「法」を語る実益は無い。よって、後に出てくる、

         > 事実の法

なんて表現は馬鹿の言うことなわけです。


>>ここでは「憲法を含む法律の類」ですね。
> 
> 
> 法律と法は違うよ。
> 法は法律以前に存在するものまで含んでいるよ。

何が言いたいか不明。法律は法形式をいう場合以外は方も法律も同じ。

> 基本的人権は法だよ。

ちがうでしょうね。(笑い)

> 無論基本的人権は人類が築き上げてきた約束定義としても存在する。
> だが、約束しなくても、存在してるよ。語の約束定義は体系化と啓蒙の手段だ
> よ。

「約束しなくても、存在している」とする理由は?

>  
> 事実の法として存在するからには、ア・プリオリに存在していると言うこと
> だ。

前述の通り、概念矛盾に気付かない馬鹿らしい。(笑い)

> 価値一元論の立場で見たとき、事実として存在するからには、演繹可能。
> しかし、価値一元論ばかりではない。価値情緒説から見たときにも、基本的人
> 権の正当性は明らか。多くの人類が、市民革命を通して勝ち得た基本的人権は
> 約束定義としても存在している。

このような意味での「約束定義」は、たんなる「言葉」を言うのみ。ちょっと大
げさで無いかい?文字が少ないと感ずるものが文字数を増やす手段で語っている
としか見えないなぁ。(笑い)

そんな事に価値の一元もへったくれも無いわな。また、「価値」そのものは厳密
には情緒とは無関係。ただ、事実に対しては、「価値」はそれへの到達手段とし
てみれば常に「情緒的」ともいえ。

> 憲法以前に存在すると言う意味においても、現代人が生誕以前において存在し
> ていたと言う意味においても、さらに、近代市民革命以前において存在してい
> た法として存在していたと言う意味においても、ア・プリオリに存在してい
> るということだ。さまざまな意味で言えるし、価値認識論の立場を超えて、そ
> のア・プリオリ性はそれぞれの立場で言えている。

まぁ、「憲法以前」というのは「国家の存在以前」と言うのと同じ意味で使って
いるんだろうと思うが、このような意味での基本的人権は、「国家が憲法で規定
する以前に」すでに存在しているものは「国家が憲法で否定できない」とする結
論を導くための便宜的な思考法だと言う事が分って発言する限りは間違とは言い
切れないでありましょう。が、私は反対ですね。

即ち、このような意味での基本的人権は、憲法によってならば否定は出来る。な
んとなれば、憲法を作る力は「法」ではなく、一種の政治的力である。政治的力
で一旦成立した憲法は全ての法の頂点に位することになり、憲法解釈によってこ
の事までをも否定できるとするのは「解釈」の範囲を逸脱するものだからであり
ます。それに、何よりも、憲法成立に関与する現在の国民が過去の、そんな存在
したかどうかも分らない「原始人」それを「自然人」と言おうと言うまいと、そ
んなものによって制約を受けるとするのは現代人を主体的な存在とは見なさない
考えだからであります。

「前国家的」の意味を善解すれば、

      もし、憲法解釈に不明さが表れた場合のその不備を
      補う手段として解約原理を提供するに過ぎないもの

あるいは、明確に、憲法が規定した基本的人権があったとして、

      その基本的人権は法形式としての「法律」以下の法
      規によっては否定されない事、

を言うに過ぎないものと解すべきであります。従って、Sugawaraのいうような馬
鹿の一つ覚えには反対ですね。

> ネオ・プラグマティズムの立場で言っても、人類出現のときから誕生していた
> と言えるでしょう。

プッ!(^m^) ここまで言うのであれば間違いですね。

> 
> 憲法で規制などしても規制はできないよ。

それは誤まりですね。(笑い)

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