! "<41f256d9$1$972$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sat, 22 Jan 2005 22:36:38 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<cstbbn$2ht$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> とりあえず、「肩書」なんてのは、この議論に何の関係もないから、無視する
>> ね。

> ここで「所属」と「肩書き」を区別し、片方を排斥する意味とはなんでしょう?

まず第一に、fjでは肩書を名乗る文化がないから。

まあ、そうだよね。USENETを始めた連中は主に大学院生だったって経緯を考え
ても、「日本のUSENET」的な存在としてJUNETを始めたのは一介の助手だった
という経緯から考えても、肩書を重んじる文化が育つはずもない。
むしろ、「肩書なんざくそくらえ」という風潮の方が強かったんじゃない?
だから、「あくまでも個人として」という文化になったわけだ。

というわけで、fj文化に根差した話をしてるときに、fj文化にない話を無自覚
に混ぜてもしょうがない。

第二に、肩書に責任の所在を明らかにする機能は、一般的にはないから。

普通は、肩書の通用範囲ってのは、所属団体+αでしょ?
そんなもの使っても、責任の所在なんか明らかになんないよね?

一方、所属ってのは、実名とセットで、社会的に通用する識別子になるから、
責任の所在を明らかにする機能を持つわけだ。

>>> 第一に、
>>> fjでは記事の責任は個人に存在するのであって所属や肩書きは関係ない。
>>> 従って、関係のない所属や肩書きをワザワザ書いたところで何のアピールにも
>>> なりえないでしょう。
>> 
>> その個人が「どこの誰か」ということを明らかにすることによって、責任の所
>> 在を明らかにしてんだよね。

> だから、それで如何なる責任の所在が明らかにできて、実際に如何なる責任を
> 取っているのだね?

いつものように、「責任を持つ」と「責任を取る」の区別がついてないようで
すね。

で、「何如なる責任」かってのは、ごく普通の意味の責任ですよ。
万のオーダーの人間に対して発言する際に発生する一般的な責任です。
# 今は、万はいないかなあ?

> たとえばwackyの言動の責任はwacky個人にあるわけですが、それって責任の所
> 在は明らかになっていないんですか?

実社会的な意味では、明らかになっていないでしょうね。
少なくとも、明らかにしているというアピールにはならない。

> wackyが担っていない責任とは具体的には何ですか?

wacky氏が担ってるかどうかなど知ったこっちゃありません。
担っているというアピールがないってだけの話です。

>> 所属組織に何か言わなくても、個人が特定できるでしょ?

> 「wacky」では個人が特定できませんか?

変えようと思えば変えられる程度の文字列では、「特定した」とは言い難いで
しょうね。

>> そういう「社会的な意味で個人が特定できる」ってのが、「責任の所在を明ら
>> かにする」ってこと。

> 何故「社会的な意味で個人が特定できる」ことが*fjにおける*「責任の所在を
> 明らかにする」ことになるのでしょうか?理屈がつながっていませんが?

「ネット上の人格」なんてものではなく、実社会に住む現実の人間として行動
してるわけです。
「メールアドレスとハンドルを変えれば別人格」なんて薄っぺらい人格じゃな
くってね。

つまり、本名と所属ってのは、ネット上の活動と実空間の人間とをつなぐ糸な
わけ。それをつないだ上で、「あくまでも個人として」発言できるところに、
fjの希有な文化のメリットがあるわけだ。

もちろん、現実の人間を切り話したコミュニケーションがあってもいいと思う
し、そういう文化があっても悪いとは思わない。
単に、それはfjじゃないってだけの話。

>> 個人が特定できるってことは、阿呆な発言をすれば、実生活の中でも「あれは
>> 阿呆だ」とばれてしまうわけよね?
>> そういうリスクを当然のごとく背負うのが実名投稿なわけだ。

> それと「チクリ電話」と何が違うんですか?
> 「fjでの言動によってfjの外側で不利益を被る」ことに違いは無いでしょう。

個人として発言したことに対して、所属組織に文句言ったりするのは、大抵は
単なる阿呆ですよね。責任の所在をかけちがえてる。

実生活の中で阿呆だとばれるのは、自業自得なわけだ。
自分の責任において自分が阿呆なことをばらしちゃったんだから。

というわけで、責任云々の文脈では、まるで違う話ですね。

>> もちろん、別の文化ではその文化なりの捉え方がされるでしょう。
>> 単に、「fjは原則実名の文化だ」ってだけの話です。

> そんな文化は既に廃れているでしょう。

fjでハンドル投稿がそれなりに多くなったのは、せいぜい、大手パソコン通信
がいくつか参入してきてからでしょ?
場の空気を読めない連中が、無自覚に別の文化を導入しちゃったと。

でも、いまだに元々のfjの文化は生きてます。
こうして、議論が起こるほどに。

> <余談>

>> まあ、学会なんかじゃ、普通にやってることです。
>> # 「みんな知り合い状態」でなければ。
>> 所属と名前を書いた名札をつけて、発言するときも「どこそこの誰々ですが」
>> と前置きしてから本題に入る。

> 何でイキナリ「学会」が出てくるんでしょう。関係ないじゃん。

JUNET文化の源流が、そういうところにあるんです。

> fjにおいては本来、メールアドレスさえあれば連絡可能ですし(変えなければ)
> 過去の記事も識別できるわけです。署名は「礼儀や習慣の問題」に過ぎないで
> しょう。

だから、「アピール」だと言ってるわけ。

> </余談>
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KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
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