! "<40deda91$0$19832$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 27 Jun 2004 23:32:59 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<cbji3d$ahb$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>>> で、「その影響が被害と呼べる程のものではなくなった」結果として何になる
>>>>> んですか?そう、それは既にある「被害に起因しない単なる迷惑」になるだけ
>>>>> でしょう。
>>>> 
>>>> それが、社会的迷惑の基準を下回るような対策が新たに取られるわけですね。
>>>> 最初から、そっちの対策取っとけばいいのに。
>> 
>>> そっちはそっちで最初から対策が考えられているわけでしょ。
>> 
>> なんで?

> ただの迷惑への対策は何一つ考えられていないんですか?そんなことないでしょ。

被害に起因しない迷惑が社会的迷惑の基準を下回るような対策なら、大抵は被
害に起因する迷惑も社会的迷惑の基準を下回るようになるんじゃないの?

>>>> 私は、ある行為に対して、迷惑の基準と被害の基準を考え、そのきびしい方を
>>>> 採用すればよいと言ってるわけです。
>> 
>>> #何でそこで無批判に「厳しい方を採用」なんてことになるねんな。
>> 
>> 甘い方を採用すれば、迷惑か被害かのどちらかが残るでしょ?

> 誰も「甘い方を採用しろ」なんて言ってないけど?

厳しい方でない方を採用すれば、甘い方を採用するってことでしょ?
それとも、厳しい方も甘い方も採用しないことを視野に含めてる?

> KGK氏: (迷惑か被害かに関係なく)厳しい方を採用せよ
> wacky: (迷惑には迷惑、被害には被害の)適切な方を採用せよ
> ですよね。

違う。

1) ある行為Aの引き起こす迷惑を減ずる対策を行為Aに適用する。
2) ある行為Aの引き起こす被害を減ずる対策を行為Aに適用する。
の二つのうち、対策の厳しい方を適用せよって話。
その行為Aが被害を引き起こさない場合は自動的に1になるし、引き起こすのな
ら、大抵は2になるってだけの話。

>> 対策する対象は、当然のことながら、迷惑ではなく行為です。
>> ある行為Aの与える迷惑度をx, 被害度をy, それぞれの社会的許容可能な閾値
>> をx0, y0としたときに、x <= x0 and y <= y0 となるように対策が取られるべ
>> きだと言ってるわけ。

> んだから、
> ・迷惑に対しては x <= x0 となる対策X
> ・被害に対しては y <= y0 となる対策Y
> を適用し、「被害に基づいた迷惑」なら両方適用すればよいわけ。

だから、対策する対象は行為だってば。
(い) 迷惑を引き起こす行為に対しては x <= x0 となる対策
(ろ) 被害を引き起こす行為に対しては y <= y0 となる対策
(は) 両方引き起こす行為に対しては x <= x0 and y <= y0 となるような対策
を取るべきなわけ。
で、x = 0 の場合や y = 0 の場合も含めて考えるのなら、
(に) 行為に対して x <= x0 and y <= y0 となるような対策
を取るというので(い)〜(は)は全部カバーできる。

>>> 「被害に起因しない迷惑」に「被害の基準」を適用するのはオカシナ話だって
>>> のは常識で分かるよね?

> でしょ。

誰もそんなことしてない。
上記で、行為Aが迷惑を引き起こすけど被害を引き起こさない行為だとしたら、
x > 0, y = 0, となるから、(は)を適用することは(い)を適用して(ろ)を適用
しないことになるでしょ?

>> で、中途半端な対策だと、x <= x0 and y > y0 となったり x > x0 and y <= y0 
>> となったりするから、ちゃんと x <= x0 and y <= y0 となるように対策取ら
>> なきゃだめだよってのが、「きびしい方を採用」の意味。

> で、厳しさとして 対策X(迷惑) < 対策Y(被害) とした時に「被害に起因しな
> い迷惑」に「きびしい方を採用」するってことは、要するに「「被害に起因し
> ない迷惑」に「被害の基準」を適用する」ってことでしょ。

違う。
適用する対象は迷惑とか被害とかでなく行為だということを頭に叩き込んで、
行為という言葉を省略せずに上記の私の主張を読んでみれば、そんなこと主張
してないことがわかるでしょう。

>>> 当然ながら
>>> 1.「被害に起因しない迷惑」には迷惑の基準を適用する
>>> 2.「被害に起因する迷惑」には迷惑の基準と被害の基準できびしい方を採用する
>>> のが正しい対応だと思います。
>> 
>> いいえ。
>> どちらも、迷惑に関しては、迷惑の基準を適用すべきです。
>> さらに、どちらも、被害に関しては被害の基準を適用すべきです。
>> で、迷惑も被害も基準を満すように、その行為に対策が取られるべきです。

> #「いいえ」の後に相手と同じ主張を表現だけ変えて言っているのは何故?

同じように見えるとしたら、「被害に起因する迷惑」と「迷惑の原因としての
被害」を混同してるせいでしょう。

> KGK氏が主張するように、「被害に起因しない迷惑」と「被害に起因する迷
> 惑」を区別せずに「迷惑の基準と被害の基準の厳しい方を適用する」とした
> ら、どこかで「「被害に起因しない迷惑」に「被害の基準」を適用する」可能
> 性があるでしょ。違いますか?

上で説明したように、違います。

>>> 客観的事実として被害があるってことは、それが如何に些細なものであれ損害
>>> が生じているってことです。被害者本人が許容するのならともかく、加害者が
>>> 「他人に損害を生じさせたけど小額だから構わない」って言い出すなんて、
>>> それこそ「許容されない」でしょ。
>> 
>> つまり、客観的事実として「大動脈の弾性低下をもたらす被害」があれば、許
>> 容すべきではないということですね。

> それが事実として証明できるのであれば。
> ある喫煙行為とある個人の大動脈の関係が立証できれば賠償責任等の個人的責
> 任を問うことが可能でしょう。

それって、測定してるときは被害で、測定してないときは被害じゃないって主
張?

> そうではなく、そのような医学的データがあるという話であれば、社会として
> 受動喫煙の機会を減らす努力をするべきでしょう。この場合は個人の責任を問
> うとか義務を課すとかいう話にはならないでしょう。

社会として努力するってことが、個人の責任の免除になるわけないじゃん。

>> では、被害であっても、対策のコスト次第では、社会的に許容可になっちゃう
>> わけですね。

> 実際問題、近隣住民の健康に重大な被害が生じさせ続けているからといって、
> その道路が通行禁止になったりしないでしょ。

それって、「被害に社会的許容範囲がある」って話とどこが違うの?

> <余談>

>> 喫煙問題を考えるときに、社会的被害をスコープに入れないのはうかつですね。

> 個人的な問題と社会的な問題を混同するのは混乱のもとです。

混同するのとスコープに入れないのは全然別の話。

> </余談>

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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK