Re: 通信の秘密はこれを保障する(憲法21条)
ABE Keisukeさんの<koabe-527EF8.21182309052005@news01.sakura.ne.jp>から
>阿部@佐倉です。
>
>In article <20050508231845cal@nn.iij4u.or.jp>,
> cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
>
>> 実はこの点について一番まとまっているのが
>> 司法試験の過去問の記述だったりするので
>> 平成元年13問を全部引用してしまう。
>> (元の問題は穴埋め問題……以下は穴埋め後の文章な訳だ。)
>> 「言論の自由の概念は、イギリスの歴史において国会が自由な討論の特権を
>> 獲得しようとする闘争を通じて確立されてきたものであり、会期中に議員
>> が議員としての資格においてなした発言を刑事罰から免責するという意味
>> のものであった。すなわち、言論の自由は市民的自由ではなく、議員の特
>> 権であったのであり、英米においては、少なくとも18世紀の最後の四半
>> 世紀にいたるまでは、言論の自由をそのようなものとしてとらえるのが一
>> 般的であった。」
>>
>> 別に表現の自由に限りません。英米法を勉強しているとすぐわかる
>> 「最初はこういう目的だったけど後に別の事項に転用される」
>> 類のものです。
>
>司法試験の解答=法律学の分野としてはそう書けば足りるの
>かもね。
いいえ、とんでもありません。
フランス革命前の絶対王政時の話など落第。
>でも、国会が自由な討論を行うってこと自体が、いったい
>どのような社会状況から生まれたのかとか、そもそも国会が
>自由な討論を行うっていう考え方はどこから生まれたのとか、
>議員が討論することなんてあり得る訳とか、さらに掘り下げ
>られます。
>私は、ミルトン「アレオパヂティカ」に起源を求めたいほう
>なので、政治的自由の闘争が確立に大きく寄与したとしても、
>そこから始めるのには反対ですけど。
絶対王政下で人々は所有物などなかった。
みんな王のもの。
宗教改革。救済される人は生まれる前からあらかじめ予定されていて、
勤勉に働くことは神の意思に適う行為であり利潤追求は神の意思に適うこと。
このイデオロギーが人心を一新した。
自分で稼ぎ、豊かになり、それが神の意思に適う。自分は最後の審判で選ばれ
た人間なら、神の意思に沿って生きてるはず。いま、自分は神の意思に沿って
生きている。自分は救済される存在なのだ。
資本主義はこのイデオロギー。
私有財産も、このイデオロギー。
絶対王政を打倒し、自由になる理論武装。自然人を理論化し、国家が人間を弾
圧するなら、人間は国家転覆する権利がある。人間は国家などなくても生きて
いける。国家が人間に背くならそんな国家は必要ない。というイデオロギー。
言論の自由も、表現の自由も、予定説によるキリスト教徒のイデオロギーの高
揚による人心一新です。
>
>> そして「刑事罰から免責」なのですから
>> その担当が法律学以外のなにものでもないのは
>> 言うまでもないでしょう。
>> (少なくともこの時期には法律学という学問体系は確立しています。)
>
>表現の自由論について、すべての論議が法律学の枠内で
>行われてきたのですか。どこで線引きするのかって難しい
>かもしれませんが、表現の自由をめぐる論者って、すべてが
>法律学の研究・思索の中で論を作ってきたのでしょうか。
現在の日本は、言論の自由も表現の自由も、こねくり回した行政にべったりの
政治、司法、学者により歪められているのです。
>
>
>> >けど、その価値を(私的な空間であっても)実現させよう
>> >という発想はあってはならないのですか?
>>
>> ここは長島さんの言うとおりなんだけど
>> あえて厳しい言い方をさせてもらえば
>> 「表現の自由より大事な私的自治の原則を無視するのはなぜ?」
>> そこが全く理解できないし、理解したくもない。
>
>表現の自由と私的自治の原則を比較するという見方自体が
>おかしい。
私的自治など、表現の自由と関係ありません。
私的自治、契約の自由、このような概念は私有財産制度を正当化するために必
要な理論武装の概念です。絶対王政下では私有財産などなかったのです。みん
な王様のもの。自分の意思で処分できるものなどなかった。自分で処分できる
私有財産というものを持ち、自分の土地へ無断立ち入るなど認めない。
>どのように私的自治を行うかという、「どのように」の
>部分で「からの自由」とは異なる「ための自由」という
>面から捉えた表現の自由の実現ということを目標に掲げる
>ことがありうるのではないでしょうか。
>
>どのような原理で自治を行うか。すなわち、函館住民を
>排除するとか、佐倉住民を優遇するとか、函館住民も
>佐倉住民も排除もしなければ優遇もしないとか、
>そういう原理と同様に、表現の自由を最大限実現する場に
>したいという原理があってもおかしくはないと思う。
>
>じゃあ、その表現の自由って何だ。グループの憲章を
>破ってもいい自由なのかとか、そういうわれわれの
>目指したい表現の自由って何かを議論してゆけばいい
>のではないでしょうか。
表現は無制限に自由。
これを原則としなければ、次々と足かせをかけられ、自由ではなくなるので
す。絶対王政を経験した民族はそれを刷り込まれている。
見えざる神の手のアダム・スミスの古典経済理論も、自由への確信が基盤で
す。自由が大切だ、自由にしておけばバランスを保つところに落ち着くという
信念が彼らにはあった。
弱肉強食で独禁法をつくらなければならなくなったが、これも自由を維持する
ため怪物を作ってはならないことによります。
自ら、自由の手足を縛る思想というのは、ですから、抑圧された社会になるの
です。
だめな投稿をするものがいても、批判が起こる。批判を起こす。起こさねばな
らない。そのうえで、凌駕する投稿を個人個人がする。このような言論、表現
の自由を最大限に発揮することこそが大切なのです。
自らの手足をじばる論者は、一体どれだけ、批判投稿をしているでしょうか、
一体どれだけ絶対王政とは反対の自由を謳歌した理論を展開しているでしょう
か。
法の世界においても、これは極めて重大な問題です。
改憲。だが、非常にレベルが低い認識。一挙に手足を縛って、国家による国民
への社会統制が巨大になる社会になっても不思議ではない。
念仏で法律は変わらない。発言し、学び、感性を磨かねばならない。人任せで
はダメですね。
判例など、たいていは反動的です。お上に顔向いた判事がほとんど。学者も
ね。悪徳弁護士も多い。
>
>--
>阿部圭介(ABE Keisuke)
>koabe@mars.sakura.ne.jp
>関心 ・専門分野 :
> 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)
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