! "<40ded9b9$0$19841$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 27 Jun 2004 23:29:22 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<cbjllb$cnu$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> つまり、wacky氏のスキームでは、社会的に期待される常識や判断力を持ち合
>>>> わせていない行為者の行為は評価できないわけですね。
>> 
>>> 「評価以前」と「評価できない」の違いは理解できますか?
>> 
>> 実際、できないでしょ?

> KGK氏の求めるような*厳密な意味での*評価ができるか否かは分かりませんが、
> #<重要>つまり、「できない」と決め付けることもできないわけさ。</重要>

「善意/悪意」に基づくスキームじゃできないでしょ?
「善意/悪意」ってのがあてにならない状況なんだから。

> 常識をわきまえていない→非常識である時点で実用上問題ないレベルの充分な
> 評価は可能でしょう。

それは一体、何の評価でしょう?

# ところで、fj.*の慣習では、`#'などで始まる行はプログラムでいうところ
# のコメント行的な役割をします。普通は補足説明ですね。
# そういう行に重要なことを書くってのは形容矛盾ですね。

>>> 常識や社会性に欠けている時点で評価されますので特に不便な点はないでしょう。
>> 
>> それは、行為者の評価ですね。

> いいえ。
> 基本的常識に欠けているとか、精神状態に問題があるとか、病気だとか、障害
> 者だとか、老人だとか…。そういったことは(少なくともwackyにとっては)
> 「ある行為者の*行為*に共通する特性」に過ぎません。

それは「ある行為者の特性」ですね。普通に考えて。
で、非常識な人間の行為だから行為の内容を問わずダメってのがwacky氏の論
理なわけだ。
それを敷衍すると、非常識な投稿者の記事は内容を問わずダメってことになる
けど、それには反対してたよね?

> #たとえば、「子供のやったことくらい多めに見ろ」ってのは【人の評価】で
> #すか?それとも『状況を考慮した行為の評価』ですか?

それは評価じゃないでしょ?
行為の評価としては悪いが、その責任を行為者に問うのがむつかしいという判
断ですね。

> 同じことが表現を変
> #えただけで正反対の印象を与えてしまうってのはとても不思議ですね。

まあ、印象を頼りに情緒的な議論をする人にとっては重要なんでしょうね、そ
ういうのは。
私は人の評価したって別にかまわないと思うんですけどねえ。
もちろん、それは行為の評価とは別物だから、話を分けてくれってだけのこと
で。

> =====

>>> 「意思があっても習慣を変えることは無理」なんて話は初めて聞きましたが?
>> 
>> 習慣を変更するのに努力と時間が必要なのは当たり前だと思いますが。

> そんな「当たり前」は聞いたことがありません。

無知ですね。

> もちろん、意志が弱ければ時間が掛かるかもしれないし、もっと弱ければ習慣
> を変更することもできないでしょう。しかし、強い意志があれば即座の変更が
> 可能であり、「時間が必要」なんてことは在り得ません。

極端な精神主義ですね。

普通の人間は、どれほど強い意志を持っていようと、一瞬も忘れずに保ち続け
ることはできません。そんなことをしてたら生活が成り立ちません。
習慣化したことってのは、その隙間に入りこむからやっかいなんです。

口先だけで「変更した」というのは簡単ですが、人間ってのは常に自分の動作
の全てを意識して行なうわけじゃなく、大部分を習慣に頼って行動するもので
す。習慣を変えるってのは自分の行動プログラムを変えることですし、そんな
もんどっかからロードして終わりってわけにはいかないから、通常は時間も努
力も必要です。

例えば、http://plaza.rakuten.co.jp/spiritualshion/diary/200403300000/ 
の

| 私達は習慣的に繰り返された状態を、無意識的に継続しようとする性質があ
| るからです。

| 私達の言動やものの考え方は、繰り返されたことで定着しています。
| 「性格」というもの自体が「繰り返された思考」なのです。

| 習慣を古いものから新しいものへ変更したいときは、
| 新たに定着させたい言動や考え方を、ある一定の期間、意識的に繰り返す必
| 要があります。

なんてのは極めて常識的な見解だと思うんですが、wacky氏にとってはそうじゃ
ないんでしょうか?

ちなみに、そのあとに、

| でも一旦それらが習慣として定着してしまえば、
| 私達の心と身体は無意識的にその状態をキープしてくれます。
| 実際にやってみると、それほど難しいことではありません。

と続くのが、私のいうところの「完全に定着」というのに対応します。

> 大体、それこそが
> KGK氏言うところの「君子豹変す」そのものじゃん。

普通の人は君子じゃないんですよ。

>>> 目印があろうがなかろうが*決心した*んなら即座に変わるでしょ。たとえ間違
>>> えたって、気付いた時点で修正すれば済む話です。
>> 
>> 「たとえ間違えたって」というのはとは言えないでしょうね。
>> しかも、修正するのが現実的な時点で気付く保証など何もないし。

また、引用を改竄するし。

> 馬鹿馬鹿しい。^_^;
> そんな非現実的な定義では「完全に定着」なんてのは在り得ない話です。大
> 体、それじゃあ何をもって「完全に定着」したと言えるのでしょうか?

だから、意識してないときに間違えない状態だって何度か言ってるでしょう?
俗にいう「体が覚える」というやつです。

> その人
> は「30年後に道を間違えるかもしれない」し、10年間禁煙している人も20年後
> に煙草を吸っているかもしれないわけです。
> 実現不可能な保証を求めている時点でKGK氏の言う「完全に定着」は実現不可
> 能なタワゴトに過ぎません。

では、wacky氏のいうところの「自分がポイ捨てをしながら」に該当する状態
から該当しない状態へ移行する時点はどのように定義するんでしょうか?
それがちゃんと分からないと、「自分がポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批
判する」という状況かどうかの判定ができないんですが。

まさか、私の定義は全て極端に捉えといて、wacky氏の定義は常識で分かるだ
ろうで逃げたりしないですよね。

>>>> 私なら、二週間から一月の間ぐらいじゃないかと思います。
>> 
>>> 全く根拠レスな主張だと思います。
>> 
>> 根拠は、私の経験です。

> ヲイヲイ。^_^;
> じゃあ、「俺様の経験に反するものは間違い」なのかよって話。

私の行動に関しては、私の経験を根拠に推測すれば大きなはずれはないでしょ
うね。

>>> z が 5分10分の単位で x,y が二週間から一月の間の単位だってのは、その時
>>> 点で物凄く詭弁臭いよなぁ。^_^;

>> ちゃんと理由があって詭弁だって言ってるのなら、x, y, z, の標準的な値を
>> 考察してみせたら?

> #そもそも、
> #自分の個人的経験からの無根拠な数値を述べることを考察と言うのかい?

実は「二週間」ってのは時差ボケが直る標準的な時間を参考にしたものでもあ
ります。
「体が覚える時間」としては、妥当な線でしょ?

> wackyは「数週間単位の話をしているなら分単位の話であるzなんてのは誤差
> でしかなく、そのzが分かるからどうだなんてのは詭弁に過ぎないじゃん」っ
> て言ってんだけど。

じゃあ、「zは充分小さいので無視できる」としちゃっていい?
その方が話が楽なんだけど。
そうしたときに、例えば、

<c1naat$shk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: 甲と乙の差は、-az + bx ですから、az < bx の場合は乙の方が総回数が少な
: くてすむことになります。

という結果は、

< 甲と乙の差は、bx ですから、0 < bx の場合は乙の方が総回数が少な
< くてすむことになります。

と変更され、

: ・両者のポイ捨て頻度が同程度であれば、z < x のときに乙が効率的。
: ・相手のポイ捨て頻度が自分より高ければ、z と x が同程度でも乙が効率的。

という解釈は、

< ・xが0でない限り乙が効率的。

になります。
これでよければ、zを無視しますが、それでよい?
# 「私に不利な仮定」と明示したものだけでなく、zの導入自体も私に不利な
# 設定だったんですが、気がつかなかったようで。

> =====

>> 「盗み」を評価するのであれば、普通は、「盗み」を単独の行為として評価す
>> るんじゃないんですか?
>> その場合は、「ポケットに入れる」ってのは手段の一つでしょ?

> んだから、通常は何かを「ポケットに入れる」こと自体は何ら問題ない行為で
> すが、「盗み」を単独の行為→大行為として捉えた場合、その大行為を構成す
> る限りにおいては「ポケットに入れる」という小行為もまた「悪い」という評
> 価を与えられる。つまり「ポケットに入れたなんてイイワケは通用しない」わ
> けです。

そういう解釈なんかしなくても、ポケットに入れたものが他人のものであり、
ポケットに入れることが所有者に無断であるという状況を考慮すれば、「ポケッ
トに入れる」という行為単独で「悪い」と言い切っていいでしょ?

>> わけわからん。
>> 「その状況で批判すること」と「自己棚上げの批判」と名付けただけやんか。
>> そのどこが何故どのように悪いのかを問題にしてんのに。

> え〜と。^_^;
> 1.「自分がポイ捨てをしたという状況で他人のポイ捨てを批判すること」は
>   自己棚上げではない。
> 2.自己棚上げのどこが悪い。
> のどっちを主張してるんですか?

2を修辞的でない質問として言ってます。
つまり、自己棚上げの批判というものの、どの部分が何故どのように悪いと評
価しているのかを聞いてるわけ。
で、結局、wacky氏は「自己棚上げだから悪い」としか言えないわけです。

> <余談>

>> なんで?
>> 結果的にうまくいってんのなら、それがタマタマかどうかにかかわらず、結果
>> はオッケーでしょ?

> 行為の評価の話をしてんのに、「その行為の評価がオッケーか否か」を評価せ
> にゃならんなんてバカバカしい話でしょ。

意味不明。なんでそんな話がでてくるんだか。

> だか
> ら、「タマタマ結果的にうまくいったか」じゃダメで「うまくいく」ことを論
> 理的に説明できなきゃ意味がないわけですよ。

行為の目的、手段、結果を素朴に評価すればいいでしょ?
それらの選択が常識に基づくものなのか、非常識だけどたまたまうまく選んだ
のかなんてのは、行為の評価には関係ないよね?

それとも、全く同じ行為をしても、常識人がしたものと非常識人がしたもので
は評価が異なるんですか?
それは、一体何の評価でしょう?

>>> 状況と行為の関連性。です。
>> 
>> 「行為の関連性」という言葉は、ごく普通に解釈すれば、「ある行為とある行
>> 為の関連性」という意味になります。
>> 当然、私も、その意味でのみ使ってます。

> #私の考える意味以外は許さない。ってのは単なる我侭でしかありません。

どっちにしても、自己棚上げの考察には関係ないでしょ?
自己棚上げってのは、ある行為とある行為の関連性なんだから。

>> 「これこれこういう影響を与える」ってなことは言えない?
>> その影響が悪いかどうかの判断は、その具体的な影響を見てからの話でしょ?

> んじゃ、禁煙の根拠は何?
> 実際に迷惑が発生するまでは悪いかどうか判断できないなら「場所に対する禁
> 煙」なんて在り得ないでしょ。

推論の段階の話を時系列の話に摩り替えるのはやめたら?

> </余談>
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK