! "<3fe4515e$0$19847$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sat, 20 Dec 2003 22:41:49 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bs1e7e$6qm$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ! "<3fdf97ef$0$19849$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>> !     Wed, 17 Dec 2003 08:41:31 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>> 
>>> 1.Aはポイ捨てする
>>> 2.Bはポイ捨てする
>>> 3.AはBのポイ捨てを批判する
>>> 4.AはAのポイ捨てを批判しない
>>> つまり、「批判しない」という行為が存在するわけで、ここでの自己棚上げは
>>> 実は3と4で構成されているわけだ。
>> 
>> で、私はその4つが全て行なわれてる状況下でのそれぞれの評価を、上から順
>> 番に、非非是非と判断してるわけ。

> #それは、*それ以外の状況は無視して*切り出された個々の行為を評価した場
> #合の話でしょ。

いいえ。

> そこでは「その4つが全て行なわれてる」という認識には何
> #の意味もない。他の判断に何ら利用されていないのだから。

利用した上でほぼ影響しないと判断しただけのこと。
# 繰り返し説明してるように。

> では、1〜4全てで構成された「自己棚上げで他人を批判すること」の是非は
> 如何ですか?それが本論でしょ。

それが本論だと思ってるのはwacky氏だけですね。
私は、そんなことに「行為の評価」として一つの評価を割当てられるとは思っ
ていませんので、最初から論じてません。

>> 少なくとも私は「行為者が誰かによって評価を変える」なんてことをしていま
>> せん。

> 上記問いに是と答えるのであれば、それは「3と4の共存」を容認することに
> 他ならない。つまり「行為者が自分か否かによって評価を変えている」わけで
> す。

> 上記問いに否と答えるのであれば、その時点でこの長い長い議論も終わりです。

というわけで、答えることが可能な問いになってません。

で、「行為者が誰かによって評価を変える」というのは、例えば、上の1〜4に,
5. Cはポイ捨てしない
6. CはBのポイ捨てを批判する
を加えたときに、6を是としながら3を非と評価するようなことですね。

# ちなみに、言葉の対応関係は「是<->非」「可(賛)<->否」ですね。
# 前者は道理に合ってるかどうか、後者は同意するかどうか。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK