! "<3fa8fd2b$0$19839$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Wed, 05 Nov 2003 22:38:13 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bmr2ej$t65$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 社会的な許容レベルの話の筈が、何時の間にか個人的重要性に摩り替わってい
>>> るような…。
>> 
>> 個人的重要性が許容度につながらないってのなら、
>> : A4. 生活における重要性のあること
>> : A5. 趣味・芸術・美的感覚などのこだわり
>> : A6. 嗜好・習慣など
>> ってのを許容要素として挙げること自体が間違ってるってことになりますね。
>> なんでその段階で反対しなかったの?

> そりゃアナタ。^_^;
> A4,5,6で挙げたものは「その重要性が社会的に認められている」ことが前提で
> しょ。あくまで社会的な基準の話なんだから。

社会的な基準と言っても、正当性は関係ありませんから、「その重要性が社会
的に知られている」という程度の話ですね。
# という意味では、社会的な「標準」と言った方がいいかも。

しかも、知られていることを前提にもしてません。
だから、

: B2. A群の要素を持ってることやB1の努力がどの程度理解されてるか

という形で、別に基準を設けてます。

> そこにレンタルビデオを返しに行くのに「歩いていくより車の方が楽」なんて
> 類の【利便性】まで含めちゃマズイでしょう。

その特別な場合では、個人的重要性が低いってだけの話ですね。

>> 「好み」の場合は、なくなっても嫌なだけで困らないですよね?
>> 「利便」の場合は、なくなったら困るでしょ?

> 「嫌だけど困らない」なんてことが言えるのであれば、同様に「不便だけど
> 困らない」とも言えるんじゃないですか?

まあ、それはそうか。
普通は、困る程度が相当違うってだけの話で。

>>> 第二に、その「個人的な必要性」が今の議論に何のかかわりがあるのでしょう
>>> か?そのようなものが有効となるのは「社会的に問題とならない行為」に限ら
>>> れるのではないかと思いますよ。
>> 
>> ある程度の許容度をもった許容要素になるでしょ?

> 今は「社会的に許容可・不可な迷惑の基準」として「許容度」といったものを
> 考えているんだよね。

いいえ。
もう少し弱くって「社会的に許容されそうかどうかの目安」という程度の話で
す。

> 「個人的な必要性」に何の意味がある?

社会的な存在であれば、他人にとって重要なことは、自分にとって同程度に重
要なことに準ずるぐらいには許容するものです。
# ってのが、かなり前に言った、「抽象化されたレベルでのお互い様」ってや
# つ。

>>> だからといって、「コストの変化が半端じゃない」に該当しない人までが「ど
>>> 〜せ区別つかないんだから」と迷惑を掛けて言い訳ではありませんよね。
>> 
>> 以前から言ってるように、「許容度 vs. 迷惑度」のスキームは、迷惑を被る
>> 側の視点のみから考えてます。

> であれば、単に「迷惑を掛られて良いわけではありません」と言い換えるだけ
> の話です。それで何が変わるわけでもありませんから。

区別つかないんだったら、同様に許容しちゃうでしょ?
いい悪いの問題じゃなくて。

>> 正確には、Y3aが煙草は大きく排ガスは小さいって話です。

> ああ、ちょっと判ったような…。^_^;
> これはつまり「健康被害が生じていることへの認識」ってことで、たとえば
> 「無味無臭の毒薬」でY3が極小化するってことだな。
> …
> って、全然迷惑の話じゃないじゃん。

迷惑は小さいって話ですよ。

> ってゆ〜か、それって「健康被害が生じている」こと自体が先ず不確かだし、
> 「健康被害が生じている」と仮定したらしたで「Y3が小さいほど深刻な問
> 題」ってことじゃんか。

そっちは、被害の問題として捉えたときの話ですね。
迷惑問題とは別の結論が出ても何等不思議じゃありませんが。

>>> 「個人的な欲求」に*社会的な*重要性なんかありませんよ。
>> 
>> 多くの人にとって個人的に重要なことは、社会的な重要性を持ちます。

> だったら最初から「社会的な重要性」を論証した方が良いですね。ご自分で認
> められた通り、「個人的に重要」のみでは意味をなさないですから。

だから、「多くの人にとって個人的に重要なこと」を挙げてるでしょ?

>>> #そ〜ゆ〜のは、「自分はある程度我慢してでも他者を尊重する」を実践して
>>> #いる人が言って初めて重みを持つです。^_^;
>> 
>> 主張する人によって主張の当否が異なるという意見ですか?

> 「説得力が皆無である」って話。

情緒的な評価をする人に対してだったら、そうかもしてませんね。

> #個人がどうこうではなく、その人が「正論だから言っている」のか「自分が
> #得をする為に言っているのか」が違う。後者は大抵「お前、自分じゃやって
> #ないじゃん」って言われてチョン。

主張者がやってなくても正しいことは正しいのに、そんなことを言い訳にして
認めないってのは馬鹿げた行為ですね。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK