Tsuiki Hiroyuki <kamiture@f7.dion.ne.jp> wrote:
>  どのような状況で「デフォルト」なのかを考えるべきですね。

考えた上で、いつ如何なる状況でも「デフォルト」という結論です。
例外は、発信者当人が公開を前提にしたためた手紙・メール。

>  Netnewsで見知った程度の人間に公開されて困るような「私信」を送りつけ
> る事自体、そもそも「デフォルト」から大きく逸脱している、という事をどう
> 評価しているのですか?

Netnewsに投稿できる環境にあるならNetnewsに投稿すればよい話。
なぜそういう手段を取らなかったのかという問題があります。

また、もともとの問題にリンクするところで
「私信だから放言してよいという甘えは許されるのか」
という疑問はありますが、
転載に際し送信者本人の許諾を得るべきかどうかとは無関係な話です。

> それが非公開を前提と言えるのは、そのような行為がその「信頼関係」を一方
> 的に裏切るからであって、「私信」である事を以て受信者側に非公開を強いる
> ような「一般論」などありません。

あります。詳しくは後述。

>  郵政メール以前は、私信のやりとりをする間柄には当然一定の信頼関係のあ
> るのが普通であったし、少なくともその信頼関係があるという確信の持てない
> 間柄で公開されて困るような事を書くマヌケはいないのが普通です。件の判決
> で「一般論」として非公開性が語られたのであれば、それはその前提の話です。
> 
>  ところが、電子メールの普及と共にそのあたりの自他の人間関係を把握でき
> ないバカが増えてきて、あげくそのような前提条件をすっ飛ばして「私信の非
> 公開性」を主張するようになってきたからこういう話になるだけの話です。

それは郵便・e-mailの違いではなく、
webやusenetという誰もが公に発言できる場の性質によるもの。

マスメディアやミニコミ誌などへの寄稿は、連絡先が伏せられ
編集部を通さないと筆者への連絡はできないのが原則でした。
(イベント告知みたいに記事中に筆者の連絡先を記す例外はありますが)
筆者への直接の連絡先を知っていること自体が
「一定の信頼関係」の裏付けであったわけです。

ところが、usenetでの発言は筆者個人の連絡先を明示する約束なので
(webの掲示板では連絡先を伏せての発言が可能なシステムも多いですが)
いきなり筆者に直接リアクションすることが容易になりました。

そもそも、根本的な問題として
usenet上で「一定の信頼関係」なるものをどうやって築くのでしょう?

というわけで、私信の非公開性を「一定の信頼関係」と結びつけるのは
現状ではむしろナンセンスとさえ言えます。
そんなものはいっそ前提から外すほうが現実的でしょう。

> >私信とプライバシーにまつわる歴史的経緯があるにせよ、
> 
>  あるにせよ、で切り捨てて良い話ではないです。

上記のとおり、むしろ切り捨てるほうが現状に即してます。

主客転倒ではありますが、
まず「私信は無断公開するべからず」ありきで話を進めたほうが
インターネット社会にふさわしいと思います。

> >| ・公開されるような相手だと判断したらそもそも出さない。
> >| ・公開されて困るようなことは書かない
> >| などの防御策がいくらでも可能なのに
> >という判断が付くような状況にない場合は
> 
>  そもそも公開され困るような「私信」を出す事自体が間違っているのであっ
> て、

いいえ、*送信者に無断で* 私信を公開することが間違っています。
事前に了解を取れれば公開して構わないのですから。

> >> そもそも著作物とは認められないのではないでしょうか?
> >
> >言語の著作物にあたるのではないでしょうか?
> >書き手の思想、感情をオリジナルに表現したものですから。
> 
>  著作権法の保護するところの著作物であるための必要条件をいくつか満たす
> 事が、即ちそれが法的権利を行使し得る著作物である事は意味しないと思いま
> すが。。。

これについても、インターネットの普及により
公共に発言するにあたっての垣根が低くなったことを踏まえて
考える必要があります。