Re: マッチポンプ正当化論法について (Re: 迷惑を憎んで人を憎まず
! "<3f5aa786$0$263$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
! Sun, 07 Sep 2003 12:35:22 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjceog$e0u$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>>> #普通の流れで考えれば普通に「そのような機会に遭遇した場合」という前提
>>>>> #が設定されるものと思われるのですが…
>>>>
>>>> 前提は、せいぜい、「そのような行為があったとして」という程度の話でしょ?
>>>> そこから先は限定されてないと思いますが。
>>
>>> それだけの前提があれば「そんな状況に出くわすかどうか分からないから」み
>>> たいなイイワケが変なことはお分かりですよね。
>>
>> 「そのような行為があった」ということと「そのような行為に対する評価を表
>> 明する状況にある」ってのは、相当差があります。
> #差があるかどうか知らないが、何故、突然、意味も無く、*誰も想定してい
> #なかった前提*を持ち出すんですか?
「意味も無く」ってのは誤りです。
場合分けしなけりゃ正確に答えられない質問に遭遇したってだけの話ですね。
> 1.一般的な前提と同じ条件下で語れないのは何故だろう?
上述の通り、場合分けしなけりゃ正確に答えられない質問に遭遇したってだけ
の話ですね。
> 2.じゃ、一般的な話と自分を含めた場合で回答が変化するのは何故だろう?
意味的に変化してませんよ。詳細化はしたけど。
>>>>>> どっちにしても貶すことはない。
>>>>
>>>>> つまり、
>>>>> 自分自身を考えに入れた場合はそこまで後退せざるを得ないわけですよね。
>>>>
>>>> 後退もなにも、最初からそういう主張しかしてませんが。
>>
>>> 「褒められてしかるべき」だったのでは?
>>
>> そうですよ。
>> 普通、「褒められてしかるべき」だからといって「褒めなきゃいけない」わけ
>> じゃないし、「褒められてしかるべき」ことを貶すことはないでしょ?
> #理屈としては決して誤りではないけどね…。^_^;
> #10という値があったら「10です」と言えば良いわけで、何の理由も無く
> #「マイナスではない」と表現するのは間違いでなくても不自然だし、大抵の
> #場合、そこには「10と言うのが憚られる何かがある」ものと推測されるわ
> #けです。
そういうのは推測と言わずに憶測というんです。
詳細に説明しているところの一場面を取り出して、そういう憶測をして、その
憶測が当たってるのが自明であるかのように話を進めるから、話が通じないん
です。
> では、KGK氏は「(彼が放火魔であろうと)そのような行為に対する評価を表明
> する状況にあれば褒める」んですね?
はい。
> #なら、最初からそう言えば良いのに。
素直に読めば、それ以外の意味に取れないでしょ?
何で他の可能性を考えるんだか。
>> 「自分で放火した」という状況を考慮しつつ、「消火」の評価をすればいいん
>> でしょ?
>> その状況下で「消火」するのは間違いなんですか?
> 間違いでしょ。というか、*繰り返します*が「消火」だけを無理矢理切り出す
> ことが誤謬の始まりですってば。
何故、誤謬なんですか?
> この場合の「消火」は、その行為によって完結する「一連の行為によって形成
> される一つの行為」の一部に過ぎません。ここで評価されるべきは「自分で放
> 火して自分で消火した」という全体であると言えるわけです。
行為の一部を評価することは間違いですか?
何故?
> だから、この立場から見れば「自分で放火して自分で消火した」への評価は
> 「消火(活動を通じて注目を集める)する為に放火した」という時系列を逆転し
> た表現への評価と何ら変わらないわけだが、KGK氏の論法からすると「それは
> 放火に対する評価だ」ということになってしまうでしょう。同じ事を表現を変
> えて言っただけなのにね。
ここは大間違いです。
まず、同じ一連の行動であっても、どこに注目して評価するかによって評価が
変わるのはあたりまえ。
次に、「××という状況下で消火した」ことへの評価は「消火」への評価であ
り、「××という目的で放火した」ことへの評価は「放火」への評価だっての
は、日本語の意味として正しい。
さらに、「自分で放火して自分で消火した」という一連の行動への評価は、私
は言及していません。意味がないと思ってるから。
>>> 正当防衛が一般的な殺人と区別されることを考えれば「行為の行われた状況」
>>> が「目的の正当性」に関係すること、従って判断材料として考慮すべきである
>>> ことに議論の余地は無いでしょう。
>>
>> それは、「行為の行われた状況」が何でも「目的の正当性」に関係することを
>> 示していません。
>> 「行為の行われた状況」が「目的の正当性」に関係すること場合があるってだ
>> けの話。
> 充分です。
> その一例だけでも*考慮する必要がある*ことの立派な証拠でしょう。
「考慮」はね。
> この時点で、「「消火」という行為のみを切り出して評価せよ」という主張は
> 否定されているわけです。
いいえ。考慮した結果、どのように関係があって、それがどの程度なのかを判
断するんです。
で、どのように関係があって、それはどの程度影響するんです?
>> だから、「自分でポイ捨てをしてる」という状況が「目的の正当性」に関係す
>> るというのなら、「目的の正当性」にどのようにかかわって、どの程度不当な
>> ものになるかを示してください。
> 自らの欲せざる所を…(略)
言葉を濁さずには答えられないんですか?
> #「何で人を殺しちゃ駄目なんだよ?」って尋ねられてるような気が…。^_^;
という言い方をするってことは、論理的な根拠があって言ってるんじゃないっ
てことかな?
でも、何が何にどのように関係するかってのは、論理的に言わないと意味ない
よ。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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