! "<3f47cae4$0$254$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 24 Aug 2003 05:13:06 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bi78h6$an2$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> その部分に対する評価を表明する機会があれば褒めるし、なければ褒めるため
>> の機会をわざわざ作らないから褒めないってだけの話。

> 元々「その行為は褒められてしかるべき」と言った時の*それ*ってのが実際に
> 存在した何らかの行為を指しているわけではないでしょ。
> なのに、自分に水を向けられた途端に「実際にそのような機会があるか否か」
> という話になってしまうのは何故でしょう?

いつものように、正確に表現しただけのことです。

> #普通の流れで考えれば普通に「そのような機会に遭遇した場合」という前提
> #が設定されるものと思われるのですが…

前提は、せいぜい、「そのような行為があったとして」という程度の話でしょ?
そこから先は限定されてないと思いますが。

>> どっちにしても貶すことはない。

> つまり、
> 自分自身を考えに入れた場合はそこまで後退せざるを得ないわけですよね。

後退もなにも、最初からそういう主張しかしてませんが。

>> 上記のように、私が言ってる「ケースバイケース」ってのは、評価を表明する
>> 機会があるかどうかです。

> であれば、「そういう話に摩り替えようとしているのでは?」というのが感想
> です。

単に正確に表現しようとしただけの話。

で、wacky氏は、「自分で放火して自分で消火する」という例での「消火する」
という行為に対して、褒められてしかるべきだと思いますか? 貶されてしかる
べきだと思いますか? それとも何か他の主張を持ってますか?

>> # もう少しちゃんと言えば、機会を利用しようと思うか否か。

> #そんなことは今の議論とは何のかかわりもないことですよ。

# 単に正確に[以下略]

>> で、自己棚上げだったら、「ポイ捨てを批判する」ということの目的もしくは
>> 手段のどういう部分にどのように関係するんですか?

> 繰り返し申し上げている通り、それ(自己棚上)は「目的の正当性」にかかわる
> 「行為の行われた状況」であると言えるでしょう。

「目的の正当性」にどのようにかかわって、どの程度不当なものになるんです
か?
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
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