河野氏の基本方針は、こういうことのようです。

 ・発言に責任を負いたくない
 ・主張に一貫性を持たせる努力をしたくない。
 ・間違っても認めたくない。

 一言で言えば、河野氏はガキだということですね。
 ガキに「氏」というのもヘンですが、まあ、これは私のスタ
イルですから気にしないことにします。

 ともあれ、これでは議論が成立しなくても無理はありません
し、河野氏の主張が基本的に論を構成しないデタラメな代物で
あったことも理解できます。

In article <3988893news.pl@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>, Shinji KONO wrote:
>> >(1)は言葉を言い換えただけじゃないですか。ぼくが疑問なのはここで語られてい
>>  言い換えではありません。しかも、既に解説済みの話です。
>>  <bi79jq$i04$1@bgsv5647.tk.mesh.ad.jp> にあるとおり。
>>  同じスレッドの同じ筆者の同じ記事くらい、目を通しておく
>> ことです。
>
>僕も言い替えに過ぎないと指摘しました。実際、最初の
>記事では、そういわれても仕方ないでしょう。

 既に言い換えでは無いことは指摘済みですが、河野氏はそれを
読んでいるにも拘らず、認めることができないようですね。まあ、
「間違っても認めない」というポリシーの持ち主では、仕方あり
ませんが。

>ってわけで、実名原則とはあんまり関係ないものを持ち出して来て
>いるだけみたいですね。

 ということにしたいのですね。

 もっとも、実名を「敬意」でしかないと思っているのなら、関
係無いように見えることは理解できます。が、それはものごとの
一面でしかありません。

>僕は、fjではフォローに答えなければならない責務はないと思いま
>す。また、どんなに矛盾していようと意見をくつがえす必要もない
>です。なので、説明責任みたいなものは、fj にはないんだと思う。

 フォローに答える責務などありません。そもそも、誰もそんな
主張などしていません。
 ここで河野氏はアカウンタビリティを求められるシーンに限定
された話を、いきなり「フォロー」としてスコープを巨大化して
います。ここまで派手だと詭弁ですらなく、単なる関係の無い話
です。
 つい先だっても河野氏は fj をインターネットとする同じタイ
プの誤りを犯したばかりなのですが、「間違っても認めない」と
いうポリシーの持ち主では、仕方ありませんか。

 また、矛盾を解消する必要がないなどは、ガキ以外の何者でも
ない発言ですね。
 そう思っている人が多ければ、放言記事が多くなるでしょう。
 そして、議論は成立しなくなるでしょう。

 要するに、説明責任が無いと思いたいのは自由ですが、それは
ガキのわがままでしかありません。

>むしろ、そういうもの(お前は間違っているから意見を変えろと強
>要する奴)が、

 強要も何も、間違っていたら改めるしかありません。むろん、
間違っていないということにして頑張るという見苦しい真似をす
る馬鹿が存在するのは事実ですが、それは己の首を絞めるだけの
行為です。
 もっとも、こういう姿勢だから、その「見苦しい真似」を実践
できるのでしょうが。

> 実名の投稿の所属に電話したりすることが多いと思う。

 思うのは、自由です。

 で、そのような感想文を投げて何がしたいのでしょうね。

# 説明責任が無いと言うくらいですから、ただの放言かもしれ
# ませんが。

>>  まず第一に、「話し合い」は「議論」ではありません。
>>  議論とは、一般論としては、論点を特定し、特定の論点に対
>> して結論を導く営為です。
>>  従って、その直接の目的は論点を明確化し、結論を導くこと
>> にあります。
>>  他方、「話し合い」という言葉にはそのような含意はありま
>> せん。敢えて一般化すれば、武力を使わないで主として言葉を
>> 使うやりとりを呼ぶくらいの、極めて広い概念です。
>
>普通の日本語のセンスだと、話し合いの方を結果を要求する方に使
>うみたいだよ。議論は、論じるだけで結果は要求しなくも良いみた
>いですね。

 河野氏の日本語のセンスがそうであるのは分かりました。
 が、それを普通とは私は認めません。

 まあ、実の所ここのポイントはそんな話ではなく、「議論」と
「話し合い」は違うものだという点です。

>君も例の「正しい結論は一つ」っていう論者みたいだが、僕は、fj
>での議論の結論は、それを読む人それぞれで差があって良いと思い
>ます。また、差があるのが普通でしょう。なので、議論の結果を何
>かの選択に結び付けるためには、議論とは別に合意手続きが必要だ
>と思います。それが、90年から延々やってきた実験の成果でもある
>わけだな。

 どこから「正しい結論は一つ」と思い込んだのか知りませんが、
そんな話など何の関係も無い話です。

 また、差がある/ないという 1/0 の話をしたらあるのは当たり前
で、いい悪いの話ではありません。そんなものは言葉を使う以上必
ず生じる話。
 実用的に問題無いレベルで共有できれば、それで十分。
 まあ、こういう現実を無視した極論に走るのも、ガキの特徴では
ありますね。

 また、結論を出すことを何か特定のルール作りにリンクする行為
に限定しているようですが、今度はスコープを限定しすぎですね。
例えば最近の「原則実名は崩壊しているか」という論点の議論では
そんな合意手続きなど必要ありませんし、実際されていません。

 結局、何が言いたいのか知りませんが、悉く頓珍漢ですね。

>>  要するに、例によってここで KENTAROU は何も言えていない
>> ということです。
>
>僕はKENTAROU の記事の方が頼光のよりはわかりやすいです。
>内容もあると思う。

 思うのは、自由です。

 もっとも、そう思うメカニズムは理解できますが。
 既に指摘したように KENTAROU の言は飛躍や無関係の話が並ぶだ
けのものです。しかし、見方を変えれば、読み手がその気になれば
勝手なストーリーをそれをネタに作れる代物です。となれば、自分
で作ったストーリーが自分にとって分かりやすく、自分にとって内
容があると感じるのは当然のことですね。

# まあ、ガキではそんな見え透いた手に乗っても仕方ないでしょう
# が。

 結局、それはコミュニケーションでもあり相互作用でもあります
が、議論ではありません。

>>  そんな勝手な「目的観」を持つ馬鹿のことを、誰が省みると
>> 思っているのやら。
>
>なんらかの行為の選択を目的として議論している人は多いよ。
>
>> 誰がどういう目的を持つかなど知ったこと
>> ではありません。
>
>君はそうかも知れないけど。僕はそうではないし、そうでは
>ない人は少数ではないことも知ってます。

 私以外の者がどうあろうと、ここでは何の関係も無い話です。
 ここの記述は、私がどう考えるかという話なのですから。

 どのような問いに私が答えたのかくらい押さえて欲しいものです
ね。


 また、目的の話においては、そもそも何かを目的としてどうこう
という話など、ここでは全く出てきていません。ここで私が批判し
たのは KENTAROU の言っている「目的観」であり、そのような「目
的観」を持つ馬鹿です。
 つまり、河野氏は二重に関係無い話をしているということです。
これでは、議論になりません。

-- 
頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
 宗教学、歴史学、社会学、情報工学