! "<3efddddc$1$255$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 29 Jun 2003 03:27:43 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> [許容要素]
> a1.その行為によって個人の生命が救われる場合
> a2.その行為が公共の福祉に適う場合
> a3.その行為によって個人の財産が救われる場合
> a4.その行為を行わないことにより個人の健康を著しく損なう場合
> a5.その行為が社会習慣上重要である場合
> a6.その行為が個人的な趣味・嗜好・習慣・思想等として重要である場合
> a7.その他

> [非許容要素]
> c1.その行為によって個人の生命が損なわれる場合
> c2.その行為が公共の福祉を損なう場合
> c3.その行為によって個人の財産が損なわれる場合
> c4.その行為を行うことにより個人の健康を著しく損なう場合
> c5.その行為が社会習慣上忌避される場合
> c6.その行為が個人的な趣味・嗜好・習慣・思想等としてを忌避される場合
> c7.その他

まあ、ひとまずこれでいくとしてだ、

> で、個人的意見としては

>   |a1|a2|a3|a4|a5|a6|a7
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c1|?|×|×|×|×|×|×
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c2|○|?|×|×|×|×|×
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c3|○|○|?|×|×|×|×
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c4|○|○|○|?|×|×|×
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c5|○|○|○|○|?|×|×
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c6|○|○|○|○|○|?|×
> --+--+--+--+--+--+--+--
> c7|○|○|○|○|○|○|?

> ○: 非許
> ×: 非許容
> ?: 不明、ケースバイケース

これってB群を全然考慮してないよね。
# 迷惑要素でB群に相当するのは何だろう?
# 頻度はかなり重要なファクターだと思うが。

>> 能動と受動の差を考えてみると、迷惑度の方がワンランク程度大きく評価され
>> るだろうってのは想像に難くない。

> そうかな?
> a1とc1を見比べると、そこはもうケースバイケースとしか言えないものがあっ
> て、単純に受動だ能動だで決定できないと思うわけです。

「自分が死ぬのを防ぐために相手を殺す」ってのは、それ以外に方法がないと
きのみに正当化されるものです。
ケースバイケースではあるにしても、能動側に不利ですね。
# まあ、殺した相手に許容されるってのはありえませんが :P

そういう極端な話じゃなくても心理的な差はありますし、それ以外にも、「自
分が被る迷惑は自分が一番よく知ってるけど、相手の事情なんてそんなに詳し
くしらない」ってのが普通ですから、点が辛くなりがちなのは当然でしょう。
# その辺がB群のからみ方なわけ。

>> だったら、どんな行為でも測定すれば生じるんだから前提として問題ないです
>> よね?
>> # 迷惑度が0だったとしても、0という迷惑度が生じてるわけだし。

> #だから、KGK氏のその考えを受け入れているんですけど…。

問題だという主張じゃないのならいいです。

>>>>>> 迷惑ってのは、迷惑を被った人の心の内に発生するものですから、許容するか
>>>>>> どうかの評価の対象になるものじゃないです。
>>>> 
>>>>> そんな測りようもない個人的な問題なら個人的に解決してください。
>>>> 
>> じゃあ、「辞書通りの意味の迷惑は社会的に解決するべきもんじゃない」とい
>> うので満足ですか?
>> 「迷惑防止条例」とか言ったときの「迷惑」は辞書通りの意味じゃないってこ
>> とですよね?

> どのような辞書を参照しているのか知りませんが、私の知る限りでは「他人の
> したことのため,不快になったり困ったりすること。(新辞林 三省堂)」と
> いう解釈が一般的であり、「社会が解決しなければならない」といった付帯的
> な意味は存在しないと思います。

「個人的に解決するべきもの」といった付帯的な意味もないですね。

> 誤解を避けるために解説するなら、
> 「辞書通りの意味の迷惑の内、個人的事由から生じたものについては個人的に
> 解決するべきだろう。また、辞書通りの意味の迷惑の内、社会的事由から生じ
> たものについては社会的に解決すべきである」
> といえばよろしいでしょうか。

どちらの種類の迷惑も「迷惑を被った人の心の内に発生するもの」には変りあ
りません。

>> 自分の心の動きに憤ってどうするんです?

> 「憤り」自体が「心の動き」なんだけど。

それが何か?

> 赤ん坊が泣き叫ぶ時、自分の腹が減っている状態に対して怒ってるんであっ
> て、母親が授乳の時間を忘れているといったことに結び付けられるのはずっと
> 先の話です。

あれは怒ってんですか?

> 「憤り」といった感情は先ず湧き起こり、ぶつける相手を探すのはその後の話
> なんだな。

まず起こるのは「迷惑」という感情でしょう。
# 「不快」とか「困る」といった感情ね。

憤りってのはその原因を作った相手なり、原因となった行為なりにぶつけられ
るんじゃないですか?
# それが自然現象だと、憤る相手がいなかったり。

>> 全く同じ行為でも状況が異なれば結果が異なるのは当たり前ですし、異なる結
>> 果を生ずれば行為の評価が異なるのも当たり前です。

> だからさ、
> それって結局、行為の評価じゃなくて*行為の結果*の評価じゃんか。

行為の評価ってのは、行為の目的、手段、および結果に対して行われるのが普
通ですね。
# そういう意味では、単独の行為に対してさえ単独の評価ができるとは限らな
# いけど。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK