Re: 許容と行為 (Re: 許容要素
! "<3ef4ee09$1$258$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
! Sun, 22 Jun 2003 08:46:19 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bd17ad$q5t$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> それを「やってよい」の一言で済ませるのはいかがなものか。
>>
>>> 「一言で済ませる・済ませない」で何を言いたいのか不明。
>>
>> 「やってよい」というのが一人歩きするのは危険だって話。
> どのように「一人歩き」していますか?
今はさせないようにがんばってます。
> というか、何を指して「一人歩き」と言っているんですか?
種々の限定や文脈を忘れて、単語レベルで適用すること。
> 「問題の解析」が充分であれば解析の結果が「行動の指針」となる。
というのは言えないと主張してるわけ。
> 逆に「問
> 題の解析」が不充分であれば結果も不充分であり、従って「行動の指針」は導
> けない。ただそれだけです。
こっちはそうでしょうね。
>> で、「問題の解析」の結果から「行動の指針」を作るために絶対に必要なのが、
>> 「評価の基準」です。
> だから、それが「問題の解析の結果」として導かれるんじゃん。
いいえ。
> #「行為が許容されるかどうか」と「評価の基準」に何の違いがある?
「行為が許容されるかどうか」は「自分が行動してよいか」の「評価の基準」
ではありません。
# 「行動に指針」を作るのに必要なのはそういう基準。
もう少し補足しとくと、
「行為が許容されるかどうか」を「自分が行動してよいか」の「評価の基準」
に設定するということは、特定の価値観のもとで初めて言えることです。
そこを無意識にやっちゃうと危険です。
# この場合は「許容さえされれば何やってもいい」という価値観ですね。
>>> 行為者が「その行為が許容されると判断する」ことと「その行為をやって良い
>>> と判断する」ことは同じです。何の違いもありません。
>>
>> 前者の判断が間違ったときのリスクを考えると、何も考えずに後者に直結させ
>> るのは危険です。
> ここで言う「判断を間違える」の「判断」ってのは「個々のケースにおける行
> 為者個人の判断」のことですよね。
行為者の判断の話をしてるんだから、当然でしょう。
> そんなものを「社会的判断」の話に混ぜちゃいけません。
この「社会的判断」ってのはどういうことを言ってるんでしょう?
> #「汚職をするかもしれないから役人に権限を与えてはいけない」なんて言
> #い出すのと何ら変わらない。
汚職するかもしれないリスクを考えて、権限に制限を加えたり、別個に防止す
るシステムを作ったりするのは普通の話ですね。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735