KGK == Keiji KOSAKAさんの<bdjrdh$e7g$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> どのように「一人歩き」していますか?
>
>今はさせないようにがんばってます。

ごくろうさまです。

>> というか、何を指して「一人歩き」と言っているんですか?
>
>種々の限定や文脈を忘れて、単語レベルで適用すること。

ああ、今も居ますね。そ〜ゆ〜ヒト。
KGK氏にも同様の傾向がありますのでお互い気をつけましょう。^^;


>> 「問題の解析」が充分であれば解析の結果が「行動の指針」となる。
>
>というのは言えないと主張してるわけ。

主張するだけではなく論じてほしいところです。

>> 逆に「問
>> 題の解析」が不充分であれば結果も不充分であり、従って「行動の指針」は導
>> けない。ただそれだけです。
>
>こっちはそうでしょうね。

はい。

>> #「行為が許容されるかどうか」と「評価の基準」に何の違いがある?
>
>「行為が許容されるかどうか」は「自分が行動してよいか」の「評価の基準」
>ではありません。
># 「行動に指針」を作るのに必要なのはそういう基準。
>
>もう少し補足しとくと、
>「行為が許容されるかどうか」を「自分が行動してよいか」の「評価の基準」
>に設定するということは、特定の価値観のもとで初めて言えることです。

だ〜か〜ら〜、^^;
「行為が許容されるかどうか」が社会的見地から下されるものであれば、まん
ま社会的な「評価の基準」じゃん。
#物事を許容される・されないに別けるその閾値が「基準」なわけでしょ。

># この場合は「許容さえされれば何やってもいい」という価値観ですね。

「何やってもいい」とラベリングされるとかなり印象悪いですが、
・何→許容範囲内にある物事
・やってもいい→本人の自主性に任される
ですから、
結局「許容範囲内にある物事をやるか否かは本人の自主性に任される」わけで
何の問題もありません。これは単に「迷惑だからダメ」というハードルをクリ
アしただけのことであって、他に考慮すべき問題があるのであれば当然考慮す
べきでしょう。


>>>> 行為者が「その行為が許容されると判断する」ことと「その行為をやって良い
>>>> と判断する」ことは同じです。何の違いもありません。
>>> 
>>> 前者の判断が間違ったときのリスクを考えると、何も考えずに後者に直結させ
>>> るのは危険です。
>
>> ここで言う「判断を間違える」の「判断」ってのは「個々のケースにおける行
>> 為者個人の判断」のことですよね。
>
>行為者の判断の話をしてるんだから、当然でしょう。
>
>> そんなものを「社会的判断」の話に混ぜちゃいけません。
>
>この「社会的判断」ってのはどういうことを言ってるんでしょう?

KGK氏がAナンバリングによって許容要素を分類して見せたのは何の為ですか?
別に個人的感情を吐露したかったからではないでしょう。

1.議論の結果として許容要素v.s.非許容要素の表が埋まったとして
2.その表が社会的に認められたとして
3.喫煙者及び嫌煙者がその表を迷惑判断の規範とするとしたら
ほら、上記の「リスク」は考慮不要となるでしょ。

現実にそのようなことが起きるかどうかはともかく、我々はそのような議論を
しているんではないの?「社会的に妥当な判断は何処にあるのか」を追い求め
ていたのでは?

-- 
wacky