! "<3ef4ee07$0$258$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 22 Jun 2003 08:46:18 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

>>> 批判という行為が行われた以上「批判するに到った事情を考慮する」のは当然
>>> なんじゃないの?
>> 
>> いいえ。

> 他の行為は「行うに到った事情」が関係するけど、「批判」という行為だけは
> そうではないんですか?
> それは何故ですか?

それが言論というものです。
# しかも、「行うに到った事情」になってないし。

>>> #それを言うんなら「正当防衛」だって殺人と殺人者を無自覚に結び付けてん
>>> #じゃん。
>> 
>> むしろ、殺人という行為と殺人の目的を結びつけてると言った方がよいでしょ
>> う。

> なのに、消火と消火の目的は結び付けないのですか?

消火の目的は火を消すことです。
放火が消火の目的になることはないでしょう。
# なったとしてもマッチポンプとは別もの

>>>> 「ファインプレー」と「ファインプレーに見えるプレー」は、共通部分はある
>>>> にしても、別物ですね。
>> 
>>> 「善意からの消火」と「自らの欲望を満たすための消火」も別物ですよ。
>> 
>> 消火は消火でしょ?

> だったら「共通部分はあるにしても別物」ではなく「プレーはプレー」でしょ。
> ファインプレーのファイン(素晴らしい)にあたるのが消火については「善意」
> であるわけ。

そして、ファインでないプレーは賞賛に値しないが、消火はそれ自体で賞賛に
値するわけだ。

>> 「消火」と「消火に見える行為」は別物でしょうけどね。

> つまり「(善意からの)消火」と「(善意からの)消火に見える(けどそうではな
> い)行為」は別物であって「消火は消火」ではないってことです。
> 両方を主張するのは矛盾ですよ。

括弧内を勝手に補って矛盾と称するのはいかがなものか。
# しかも修飾のかかり方がwacky氏の主張にマッチしてないし。
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KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
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