KGK == Keiji KOSAKAさんの<eeglrk$46o$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 要するに「文理解釈以外を適用するには文理解釈できないことを証明しなけれ
>> ばならない」は誤りで
>
>つか、そんな主張してる人いない。
>私がいってるのは、「文理解釈以外を適用するには文理解釈では不充分である
>ことを示さなければならない」ってあたり。

同じじゃん。^^;
「文理解釈できない」ってのはつまり、「文理解釈は適当ではない」→「充分
ではない」→「不充分である」ってことでしょ。
単に言い換えてるだけですよ。

で、じゃあ、その「示す→証明する」ってのは具体的にど〜ゆ〜ことなの?
って考えると、それは「ある解釈が*正しい解釈*に矛盾する」という帰謬
を示すことでしかないわけです。
これがど〜ゆ〜ことかというと、要するに*正しい解釈*が先に要る。ってこと。
これがど〜ゆ〜ことかというと、その理屈を「どの解釈が正しいのか?」とい
う議論に持ち込むことはできない。ってことです。
#前提となる「正しい解釈」の無い所でそう主張するのは詭弁でしかない。


>>>> そこに長靴は含まれますか?含まれませんか?
>>> 
>>> この例題の出典のページでは、
>>> 
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%87%88
>>> | サンダルや長靴が「靴」という概念に包摂されるかどうかは、明らかではな
>>> | いからである。
>>> 
>>> という扱いになってますね。
>>> という訳で、明らかではありません。
>
>> その「明らかでない」ことが【文理解釈できる】のかね?
>
>意味不明。

恐らく、「意味不明」なのはKGK氏だけなのではないかと…


>その「同定方法」ってのが、文理解釈であったり類推解釈であったりその他の
>解釈方法であったりするんだが。

#で、「サンダルの案件は文理解釈では不十分である」ってのは具体的にどの
#ように示されるんだね?

>> そして、誰かが「ここで靴と言えば革靴に決まってるだろ」と主張すれば、た
>> とえ「スニーカー」の事案であっても文理解釈に留まれるとは限りません。
>
>普通は、「その状況でその定義を用いることは、社会通念上、あり得ない」で
>終り。
>もし、目的論的解釈の面から、その定義が妥当だということが示されれば文理
>解釈からはずれるわけですが、示されない限りはずれない。

また言ってる事が変わりましたね。^^;
#最初からそう認めていれば無意味な遣り取りも無かったのに…

「文理解釈以外を適用するには文理解釈では不充分であることを示さなければ
ならない」のに、それ以前に「目的論的解釈の面からその定義が妥当だという
ことを示す」ことは不可能です。

また、直接、文理解釈と論理解釈を比較して妥当性を論じることができるので
あれば、そもそもの「文理解釈は論理解釈に優先する」といった主張は無意味
です。
#あらゆる解釈を挙げて、最も妥当な解釈を採用するだけの話。
#予め*より妥当かもしれない*解釈を制限することに意味はありません。
#何もかも素っ飛ばして、*これ*だけでもKGK氏の誤りは明らかですよ。


>http://www.gyouseisiken.com/cat11/cat291/index.html
>|  【文理解釈】
>
>| 橋のたもとにたてられている立札に「このはし渡るべからず」と書いてあるの
>| だから、ここでいうはしはやはり橋の意にとるのが条理に
>| かなった解釈のしかたというものであろう。
>
>というものですから、当然、「張り紙に書かれて廊下に貼られている」という
>のも言葉の解釈の理由にしてよいはずですね。
># ってのは既に書いてるのに、wacky氏が無視したことですが。

一体、どこで無視したものやら記憶にありませんが…
#ってゆ〜か、ここで頓知を持ち出してどうすんねんな。^^;
#「はし」を「端」と読むか「橋」と読むかなんて、「廊下」や「靴」とは全
#然関係の無い話です。議論の摩り替えでしかありませんよ。

>> 「長靴は靴か否か」と同様に「明らかでない」わけです。
>
>長靴をその規則での靴に含めるべきかどうかは、その規則の趣旨に立ち帰らな
>い限り判断できないものですが、
>「このはし」がその立札の近くの橋であることや、張り紙に書かれた「廊下」
>に「隣のビルの廊下」が含まれないことは、趣旨以前の問題として、状況から
>明らかです。 

#上記頓知の「はし」をあたかも「立札の近くの橋」であることの根拠である
#かのように持ち出すのは明らかな詭弁ですね。

「*この*橋」が「その立札の近くの橋」を指すことは「この」の意味から明ら
かです。「*この*廊下」でも同じ。何の冠も無いただの「廊下」についても、
*状況を考慮する*なら、少なくとも「張り紙が張られた廊下は含まれる」こと
は明らかでしょう。ただし、「状況によって解釈が変わってしまう」ようでは
*文理解釈ではない*でしょうね。
#それを認めたら何でもかんでも文理解釈になっちゃうよね。

-- 
wacky