! "<vpHpg.21$513.5@news3.dion.ne.jp>" という記事で
!     Sun, 02 Jul 2006 12:51:56 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK氏は既に「文理解釈至上主義の誤り」を認めているわけで、
> 更に「文理解釈原則主義の誤り」も認めればこのスレッドも終わるでしょう。

「誤り」だと頭から決めてかかって、自分の考えをちゃんとチェックしようと
してないわけね。

> 要するに「文理解釈以外を適用するには文理解釈できないことを証明しなけれ
> ばならない」は誤りで

つか、そんな主張してる人いない。
私がいってるのは、「文理解釈以外を適用するには文理解釈では不充分である
ことを示さなければならない」ってあたり。
# で、そのための基準が、目的論的解釈。

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<e85l6c$4hk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 「「靴はきちんとそろえて置くこと」という張り紙」に普通の意味で「靴」と
>>>> 言われる場合を適用すると、文理解釈で充分なわけです。
>>>> それは自明だから書いてないだけの話。

>>> その「普通の意味での「靴」」とは?

>>> そこに長靴は含まれますか?含まれませんか?
>> 
>> この例題の出典のページでは、
>> 
>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%87%88
>> | サンダルや長靴が「靴」という概念に包摂されるかどうかは、明らかではな
>> | いからである。
>> 
>> という扱いになってますね。
>> という訳で、明らかではありません。

> その「明らかでない」ことが【文理解釈できる】のかね?

意味不明。

>>>> 「条文単位でなく事案単位」ってのが理解できた?
>> 
>>> 理解できたのは「その主張は明らかな誤りである」ということです。
>> 
>> ということは、サンダルの事案で類推解釈を適用したら、スニーカーの事案で
>> も類推解釈を適用しなきゃならないってこと?

> 馬鹿馬鹿しい。^^;

ってことは、一つの条文に対して、文理解釈をとるか、論理解釈のどれかをと
るかは、事案ごとに違っても構わないわけね。

私が言ってる「条文単位でなく事案単位」ってのは、そういう意味。
理解できた?

>> 事案ごとに異なるのは、その同定方法であって、条文の意味や規則の意味が異
>> なるわけではありません。

> その通りです。

じゃあ、なんで反対してたんだ?
その「同定方法」ってのが、文理解釈であったり類推解釈であったりその他の
解釈方法であったりするんだが。

> そして、誰かが「ここで靴と言えば革靴に決まってるだろ」と主張すれば、た
> とえ「スニーカー」の事案であっても文理解釈に留まれるとは限りません。

普通は、「その状況でその定義を用いることは、社会通念上、あり得ない」で
終り。
もし、目的論的解釈の面から、その定義が妥当だということが示されれば文理
解釈からはずれるわけですが、示されない限りはずれない。

>>>>> 例外でなくても「文理解釈で説明できる」と明言していますが?
>>>> 
>>>> 「例外でなくても」って何?

>>> だ〜か〜ら〜、^^;
>>> 例外でない「「廊下を走るな」は文理解釈で妥当な解釈が可能である」と明確
>>> に繰り返し主張しているでしょ。
>> 
>> 本気で意味が分からん。
>> 「例外でない」はどこにかかるんだ?

> その緊急避難→例外 *ではない* 「その建物内の廊下に限るのかどうか」とい
> う事案について、

> 「文理解釈で説明できる」と明言していますよね。

してるよ。
つか、「文理解釈で説明できる」ということを「例外でない」と言ってんだか
ら当然だけど。

# ってのを、
# >>>>> 例外でなくても「文理解釈で説明できる」と明言していますが?
# から読み取れってのは無理だが。

で?

>>> 「日本語として」ではなく「文理解釈」ですね。
>> 
>> 「文言が有する通常の意味」として解釈すれば、「世界中のどの廊下も含まれ
>> る」とは解釈できないでしょ?

> よろしいか?
> *文言*からはそうであるともないとも決定できないよね。

「文言」云々の原文をもう一度示すと、

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syoutesuto5kaitou.htm
| 「文理解釈」とは、文脈に照らして、文言が有する通常の意味に従った解釈
| をすることをいう。

なわけですが、「文脈に照らして」を無視すれば、そうかもね。
でも、無視する意味はない。

で、「文脈に照らして」ってのはどういうことかというと、例えば、

http://www.gyouseisiken.com/cat11/cat291/index.html
|  【文理解釈】

| 橋のたもとにたてられている立札に「このはし渡るべからず」と書いてあるの
| だから、ここでいうはしはやはり橋の意にとるのが条理に
| かなった解釈のしかたというものであろう。

というものですから、当然、「張り紙に書かれて廊下に貼られている」という
のも言葉の解釈の理由にしてよいはずですね。
# ってのは既に書いてるのに、wacky氏が無視したことですが。

> 「長靴は靴か否か」と同様に「明らかでない」わけです。

長靴をその規則での靴に含めるべきかどうかは、その規則の趣旨に立ち帰らな
い限り判断できないものですが、
「このはし」がその立札の近くの橋であることや、張り紙に書かれた「廊下」
に「隣のビルの廊下」が含まれないことは、趣旨以前の問題として、状況から
明らかです。 
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK