そろそろ結論を述べましょうか。

 狭猫氏の主張は、現状、通りません。

 ある面では、「ルールを守ることがルールの精神に反する
ように感じられる」という問題提起をしていると、私は捉え
ているのですが、この矛盾に対する掘り下げが無く、感情論
を中心とした主張の繰り返しになっています。

 議論をするなら、その矛盾の構造を整理して矛盾を生じさ
せない解へ向かうのが狭猫氏の主張をする場合の正道という
ものですが、なかなかそちらには向かい難いようです。

 なお、私の立場は、端的に言えば「ルールの精神に反しよ
うが、それはルールを守るために必要なコストである」とい
うものです。
 ルールの擾乱分子が現れたら、排除を志向するのサンクショ
ンが働きます。それが無ければ、ルールなどそれこそ単なる
空文であり形骸ですしかありません。

In article <c9tt21$7on$1@news511.nifty.com>, 狭猫 wrote:
>同じ程度によく使われていると思いますが、文章上では
>用例が少ないんでしょうかね。

 用例の問題ではなく、文脈上の整合性の問題です。
 「致し方ない」なんて宣言をすることの意味など無い以上、
その選択肢は初読の時点では排除されます。

>>  誤読していますね。
>>  ここの「だけ」は、両者のリンクが極めて短く、それ故に容
>> 易に読解できることを意味する修飾語句です。
>
>そうですか。

 そうです。
 結論として、理由が薄弱という主張は、退けられたという
ことです。

>>  この狭猫しの記述には、「指摘」であればア・プリオリに正
>> しいものであるという前提が必要ですが、現状はその前提が成
>> 立していないという点が、重要です。
(中略)
>話が続いているという情報の利益性と、場違いの話が続く
>不利益性のどちらが優先なのかという決まりは存在しない
>以上、切り分けの絶対指標はありません。

 誰も絶対指標の話などしていません。
 そんなものがあったら、そもそも議論になどなりません。

 そして、指摘がア・プリオリに正しいとは限らない以上、
指標以前の話です。

>しかしながら、何のためにトップカテゴリが分けられ、
>またその中でグループ分けがされているかという事を
>どこまで無視し続けられるのか、という事になります。
>単に知らせたいからという理由で場違いな所へクロス
>ポストしてヨイという決まりを私は知りません。

 この点は、<20040606212642cal@nn.iij4u.or.jp> で佐々
木氏が反論されていますね。
 「ヨイ」の定義がいまいち不明ですが、Followup-To: 付
きのクロスポストは、既に成立している慣習です。

 しかも、「どこまで無視し続けられるのか」について、狭
猫氏は線引きできていませんから、この状態で何を言っても、
そもそも無効です。

>>  私が問うているのは、「総体として相応しくなる」と言える
>> のは何故なのか、という点です。
>
>japan.chatにクロスポストするに適切な内容だという
>理由はまだ見られません。

 違います。

 事実は、私は理由を既に述べてあり、かつその理由に対し
て狭猫氏は有効な反論をできていないという状態です。

# 既に確認したように、現状提出されているのは、感情論の
# みです。

>もし論議の継続を知らせる程度でクロスポストが許される
>ならば、適切な場所を選ぶという方の決まりは形骸化して
>しまうでしょう。

 なぜ形骸化するのかが示されていませんね。

 後述の通り、Followup-To: によって、形骸化はそもそも
起こっていませんし起きるメカニズムも無いのですから、示
すことはできないのですが。

>形式として既にそういう馬鹿は多発しているわけですが、
>それらと今回の事象を区別する有意な理由はありません。

 「そういう馬鹿」が多発することと、決まりが形骸化する
ことの間には、何の関係もありません。
 馬鹿はどんな決まりも無視するでしょう。それが馬鹿の馬
鹿たる所以ですから。形骸化するかどうかは、馬鹿ではない
人々の行動に対しての評価です。従って、馬鹿の多発は理由
になりません。

 そして、「今回の事象」を件の馬鹿のクロスポストと、私
の Followup-To: 付きの投稿を指すとしたら、これは「形骸
化」の事例ではありません。
 なぜなら、馬鹿のクロスポストは馬鹿の行為ですからそも
そも形骸化とは関係ありませんし、私の投稿は Followup-To:
がある故に決まりに従ったものなのだから、形骸化とは正反
対の遵法行為です。

>>  「持ち合わせていない」で済ませていては、この主張をする
>> 根拠は己の感性のみとなってしまいますね。
>
>元々は禁止或いは忌避として扱われている事なのですから、
>それ以上のスケールは持ち出せません。

 それでは、論として落第です。

 その結果、主張は通りません。

>> 感性を盾に主張をする場合は
>
>仮定の話なので何ですが
>
>論議に適さない微妙な内容でなければ、意見表出者
>の多少を持ち出しても始まらんでしょう。

 いいえ。多ければ尊重する必要があるし、少なければそれ
は尊重の度合いは下がります。
 このバランス取りが、共同体の運営の基本です。
 ときおり「万人が」などという寝言を言う人がいますが、
現実は構成要員のパワーバランスがものごとを決めるのです。

 そして、表出しない意見は無いものと見なすというのが、
NetNews の伝統です。

>>  「厳密に言えば適切ではない」という命題は、なぜ正しいと
>> 言えるのですか?
>
>投稿先選定の基本は、適切なグループであるか否かの
>判断ですから、フォローだからという理由は一時的な
>ものです。
>
>逆に一時的でないなら、禁ずる意味などなくなります。

 <c91pn7$nsv$1@news511.nifty.com> にあった「総体として」
の話に対し、掘り下げが行われていない以上、その対照の概
念である「一時的」の意味が定かではありません。
 これでは、循環論法ですね。

 結論として、「厳密に言えば適切ではない」という命題は、
正しいとは言えません。

>>  ここも、(*)の部分同様、根拠が感性のみと言っているのです
>> が、それが己の主張であるということですか?
>
>違反が許容されるのは何回までか、という既定の基準が
>ないので、そこはそうなります。
>
>しかしそれ以前で既に反して例外扱いとなっているの
>ですから、例外を永続させるのは誤りだという事です。

 「永続」も、上記の「総体として」同じですね。
 言葉を変えただけですから、何も論証したことになりません。

-- 
頼光 mailto:raikou.j@jcom.home.ne.jp