"頼光" <raikou.j@jcom.home.ne.jp> wrote in message
news:LSnsc.266$t9.218@news-virt.s-kddi1.home.ne.jp

> 原則にそって処理ができればそれ以上
> 考える必要はありません。

考えないという選択をするのは結構ですが、

MessageID:<TKApc.107$t9.15@news-virt.s-kddi1.home.ne.jp> では
>  理由は、フォローアップだから元の記事に従うというものです。
と述べているわけです。
(これは何故か後で別な話になっていますね。)

これじゃ馬鹿の丸写しです。

そして一連の流れで言えば、トップカテゴリを跨ぎっ
ぱなしであってFollowup-to:を指定して離脱するという
目的を自ら選択していないわけです。

投稿先を直す馬鹿の責任ということにしてフォロー
する人が同様のことを続けるというのは何だろうと
問うものです。

>  必要性は、既に述べたとおりの理由です。

トップカテゴリを跨ぎ続けて不適切なグループへの
投稿をしている事に、避け得ない必然性があるという
証明は何一つないので、説明になっていません。

単に一回そういうフォローしただけというなら、
当たり前で誰でも理解できます。そんな事は問題に
していません。

> >> まだそこで話が続いていることを示すことは、
> >> 一般論として良き情報であると考えます。
> >
> >一応この線で行くと、その場合はサマリの投稿
> >或いはポインタ呈示で充分ですよね。
>
>  これは、立論として甘いですね。
>  Bという手法があること自体は、Aという手法を退ける理
> 由にはなりません。

そうでしょうね、禁止するほどの考えは私も持ち
合わせていませんからある種の無理があります。
もちろん能力上のそれもあります。

>  クロスポスト+Followup-To でも、充分であることは同様
> ですから。

ここから考えても如何なものかと。
Followup-to:で移動せず、結局クロスポストを延々
続ける羽目になっているのですから、断ち切る必要
を認めながら自ら実践していないと言えます。

お馬鹿が実践しないのだから、まともな人が率先
して欲しいというのが願いなのですけど、頼光氏
に於いては妥当性がないんでしょうかね。

> >japan.chatに於いてfj.news.usageに振られる記事
> >というものがどんなものか、普通は凡そ考えられ
> >ません。japan.netnews.usageであれば妥当性も
> >あろうというものですが、上記では関連性すら
> >読み取れません。
> >
> ># 多分そういう捉え方はされてないのでしょう。
> >
> >しかもfjに於いて既により適切なグループは選択
> >されてそこに相応しい内容となっている訳です
> >から、単に不適切で場所替えするのとは違って
> >話がどこへ行ったのか不明になるなど気にする
> >必要性がないでしょう。
>
>  「状況の違い」の説明になっていません。

普通は正しいグループ選択がされて居らず、適切な
グループで続けるためにクロスポストして
Followup-to:で絞るわけです。
そうしないで別なグループへ振った場合、誤った
投稿を読んでいる読者にその内容が全く示されず
不明になってしまう恐れがあるからです。

しかし今回の場合は前述の通り、既に片方は正しい
選択がされていて、片方に於いて誤っている訳です。
それが延々なされているわけです。

結果として、適切なグループへ移動せずに続いて
いるのですから、クロスポストの是非以前の問題と
して、japan.chatを外す時機を逸している訳です。

そこは理解できますか?

はじめのフォローならクロスポストも結構ですが、
そうではない特段の理由は語られていませんよね。

>  件の馬鹿の暴れは、症状においては fj も
> japan も区別しているとは見えず、それ故にルー
> ルに抵触する度合いとしては fj においての方が
> 大きいので、fj を選択しています。

ふざけにしろ暴れにしろ、japan.chatとfj.news.usage
の接点がどこにあるのか全く不明なので、区別という
次元で語れるのかすら判りません。

クロスポスト禁止的な点でよりfj的な判断をする
と言われるのは理解できます。

>  「お遊び」という表出は、馬鹿がよく見せる症状の一つで、
> 私が投稿を始める以前からよく見られたパターンです。自分
> の主張が崩壊していることに薄々気付いた馬鹿が、それを装
> うことで崩壊を誤魔化そうとしているという説があり、なか
> なか説得力を持ちますね。

一般的に正しいかどうか、という視点など持ち合わせ
ないか故意に破りたいのですから、主張の崩壊という
事象がそもそも「主張者」にはないのです。

自分がヨイ・ヤリタイと思う事が唯一絶対なのです
から、他者がどう言うか思うかは蚊帳の外。

…というのもここでは余談のまた余談です。


-- 
)狭猫(