二人とも所詮この程度か。

golden crossさんの<d5mjm7$kk$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>Shinji KONO wrote:
>> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>> 
>> 
>> 国家とかも人間の産物であって、所詮は人間同士の争いですよね。
>> 憲法とか言論の自由とかは、国家と言う(おそらくは便利な)機関
>> に対する、自主規制に過ぎない。
>> 
>> 一方で、
>> 
>>     fj の持つ運営機関としての権力 (なんてものがあれば...)
>> 
>> と、
>> 
>>     fj に参加する個人の自由
>> 
>> の問題ってのもあるわけだよね。それは、もちろん憲法とは関係ない。
>> fj に参加する個人、そして、fj を運営していく主体(配信している
>> 人や団体)が決めていくルールの問題です。
>> 
>> でも、そこには、相対的な、憲法の持つ「公的権限対個人の自由」
>> みたいな図式があっても良いと思う。それは、もちろん、
>> 
>>     fj 憲章 (あるいは fj 宣言)
>> 
>> という形になるはずなんだけどさ。ただ、虚しいのは、
>> 
>>     fj の持つ運営機関としての権力
>> 
>> 自体があまり明確じゃないんだよな。
>
>さすがです、河野くん。(これは真面目)これまで河野くんの記事が議論に貢献
>した事ってあまり無かったようですが、(^^;)これは違いますね。(笑い)わた
>くしは、こういう捉え方のできるセンスこそが貴重だと考えております。こうい
>う捉え方が出来るということは河野くんはまだ死んでいない事を意味する。「馬
>鹿いじり」できることを意味する。(笑い)
>
>fjにおいて表現の自由が問題とすることが出来、且つ意義が有るのはまさにこの
>ような捉え方をしたときのみであると考えます。同時にそう有るべきだと考えま
>す。おそらく、アインシュタインも、この一連の表現の自由論争を見ていて、何
>もガチガチの裁判沙汰の話ではないという風に早い時期に捉えていたことでしょ
>う。その意味では河野くんはアインシュタインに近い頭脳持っていることを意味
>する。これはすばらしい事ではないか!(笑い)これだから、法学部外の賢明
>(河野くんも落ち着いて考えれば賢明なのです)な者から法に関する話を聞くの
>はたまらなく興味深い。自由な発想を感じる、と言ったら大げさであろうか?!細
>々とした理屈倒れの話を一蹴するにふさわしいポイントに迫る、と言ったら大げ
>さであろうか?!
>
>まず、大事なのは、憲法は(法学的と言おうと言うまいと)私たちの社会生活に
>於ける「考え方」=価値をも同時に示していると捉える発想です。憲法と同じよ
>うな理屈関係が見て取れる場面においては同じような考え方をするのが望ましい
>事をも同時に言っている、と。勿論これは参加者それぞれがどうしたいか、どう
>受け取ろうとするかの問題ですが。fjにおいて表現の自由や言論の自由を掲げる
>人々は、
>
>           そうしたい
>
>との暗黙の意思表明を同時に行って、やれ表現だのやれ言論だの自由を語ってい
>るわけです。自明っていやぁ自明なわけで、このことを知らずして、
>
>         法学に言う憲法論ではない、
>
>とかわざわざ言いにやって来るという御仁がいるとすればそれこそ馬鹿げたこと
>ではないだろうか。今回、久々に、
>
>      「キャパ」の違いを感じずには居られない貴重な場面、
>
>に遭遇できたことに感謝いたします。m(_~_)m
>
>--
>Golden Cross
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Great Sugawara
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