Okamoto Yuujiさんの<d7pqhh$1pp$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>から
>>こうしてみると、ある個人が「思った→疑った」ことから「文句を言う」とい
>>う構造に何の違いもないわけで、だからこそ「一方は悪で他方は正義」という
>>理屈(?)の正当性がまるで理解できないわけです。
>>
>
>  "悪" とか "正義" っての今回のテーマにはないです.
> JPNICの提示する規則があってそれに反しているかどうかの評価に
>ついての検討をするのが前向きってもんです.

>>で、「自分がそう思った」だけで他人を「abuser扱いする」Aさんには「何
>>の問題もない」のでしょうか?
>
> それはまた別のオハナシ.

全然別の話じゃないと思うけど?
だって、そんな身勝手さに基づいた「検討」が「前向き」であるわけがないで
すから。「前向き」ってのは「自己棚上げ」とは違うでしょ。

そもそも「JPNICの提示する規則に反しているか否か」を検討するのは「fjの
誰か」の権利でも義務でも無いし、当然決定権もないわけです。それを行うの
は「身勝手な代行行為」でしかないし、「fjの誰か」が「反していると*思っ
た*」から「abuser扱いする」のは「疑い」「恐れ」を遥かに通り越した「決
め付け」に過ぎないでしょう。
違いますか?
#だから、JPNICに御注進すること自体は全然オッケー。
##たとえ迷惑だったとしても、その程度のリスクは企業体の持つ社会的責任
##の一端として当然受け入れるべきものであろうと考えます。

一方、「正当な権利を持つメールアカウント」に関しては「fjの提示する憲章
→規則」なわけで、従って「fjの誰か」は「反しているか否か」を「検討」す
る主体たり得るわけです。それこそが「前向き」ってモンでしょ。


>  評価=思った
>であるワケですが,その評価にも温度差がありますル.
> 100人中99人にabuserだと思われたって平気なヒトは平気なワケです.

そりゃあ、まあ、「と思われる」と「である」は全然違う話だからね。
#「他人にどう思われているか」に汲々としているようなヒトには大問題で
#しょうけど…

どちらかと言えば、問題は「俺様がそう感じた」と「事実としてそうである」
の区別が付かないヒトの行動であるわけだよな。そういうヒトの行動は(独
善的嫌煙者の行動と同様に)周囲に迷惑を及ぼすわけですよ。

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wacky@オーベルシュタインの犬の飼い主が鼻で笑う