じゃ、「私用メール」についても並べてみましょう。
・明確に肯定されていない限りは駄目
・明確に否定されていない限りはオッケー
・禁止されてたってバレなきゃ良いじゃん

こうしてみると、ある個人が「思った→疑った」ことから「文句を言う」とい
う構造に何の違いもないわけで、だからこそ「一方は悪で他方は正義」という
理屈(?)の正当性がまるで理解できないわけです。


Okamoto Yuujiさんの<d7na9a$hug$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>から
> 岡本@高松です.
>----------------------------------------------------------------------
>In article <429f162e$0$970$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>, wacky@mx1.freemail.ne.jp says...
>>Okamoto Yuujiさんの<d7n37h$bt8$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>から
>>
>>                            「abuseでない*かもしれない*のにabuser扱
>>いする」ことに
>
> abuse の感覚がヒトによって違うってことですね.
>  Aさんにはabuseに見えても,Bさんには見えなかったりする.
>  この場合,Aさんに "whoisをabuseした奴" 扱いされてしまいます."
>
> ・目的外用途なら(例えすべて既知情報でも)abuse
> ・既知情報と既知情報が紐付けされたら abuse
> ・未知情報がない限り abuse でない
>
> キビシイ順に3項並べてみました. 

並べること自体は決して悪いことではありませんが…
#並べただけでは余り意味がない。

で、「自分がそう思った」だけで他人を「abuser扱いする」Aさんには「何
の問題もない」のでしょうか?
また、Aさんが同様の理由(誰かがそう思った)で「abuser扱いされた」場合に
怒り狂ったとしたら、それが正当かつ公平であると言えるでしょうか?
#全くもって疑問なのです。


># JPNICがどこまでキビシイかはサテオキます. (^^;

取り敢えず、今の所は何の反応もないようですが…

-- 
wacky